<730> 2007.5/14〜2007.5/20
 またもやPC(事務所のデスクトップ)が故障しました。今は全く動きません。今回は予兆はあったものの終焉までの時間がとても短く、心の準備が十分に出来ていない状況です。
 どうして、こんなによく壊れるのでしょう。ハードディスクには必ず寿命がある。そのことは分かっているつもりです。それにしても、もう少し長持ちしてくれても良いのではないでしょうか?買い換えさせるためのメーカーの陰謀か?とすら思ってしまいます。今まで何台買い換えたことか。最初の1台を除けば、動かなくなったためにやむを得ず購入したものばかり。しかもほとんど3年程度でトラブルが起きています。
 しかし、今回は買い換えません。ちょうど新しいOSが出始めたこともあり、心は動かされるのですが、修理してみようと思います。それもメーカーに故障修理を依頼するのではなく、私達だけで。(いや、私はほとんど何も出来ないのですが・・・)果たして上手く直るでしょうか?無事をお祈り下さい。と言っても、この通信が君たちの手許に届く頃は決着がついているはずですね。
 本当は「母の日」に因んで、母への感謝を書くつもりでした。しかし、心に余裕がありません。今回は断念しました。どこまでも親不孝な息子です。どうぞお許し下さい。
<731> 2007.5/21〜2007.5/27
 今回は生徒の反応について。知らないことを授業で初めて聞いたとき、その反応は様々です。君たち(あなたのお子様)は次のタイプのどれでしょう。
  A.無感動 「はいそうですか。で、それがどうしたん?」
  B.従順  「ふ〜ん。知らなかった」「よ〜し、わかったぞ」
  C.抵抗  「え〜!うっそ〜!信じられへ〜ん!」
 さあ、どれにあてはまりましたか?多くの人はBを選んだのではないでしょうか。Aかなと思いながらもBを選んだ人も少なくはないと思います。
 Aタイプの人は、興味がないことには一切反応しません。考えようとしないので、学力はあまり伸びません。
 では、伸びるのはBとCのどちらでしょうか。
 Bタイプの人は、人の話をよく聞き、素直に受けとめることができます。あるレベルにまで到達するのは早いでしょう。ところが、実際伸びてくるのはCタイプの人です。その理由は、物事を「ああそうか」と受けとめる前に「何でだろう」と考えているからです。このタイプの人は、納得できるまでうなずきません。時間はかかりますが、いったん理解してしまえば強い。応用力もあります。

 この診断は、あくまでも私の経験に基づいた個人的なものですので、絶対ではありません。しかし、このタイプ分けは授業を受ける際の姿勢にそのままあてはまるように思います。注意しないと聞き流す。説明した直後に問い直しても返事すらできない。書きなさいと言わないと書こうとしない。それも答えだけ。式を写すことはもしない。ひどい場合には、計算もせず、ただひたすら答えが出るのを待っている。最近、このような生徒が増えています。

 では、生徒たちの学習意欲を高めるにはどうすればよいのでしょうか。
 そのための工夫もいろいろと試みてきました。授業形態を変えようかと考えたこともありました。聞いたことをその場で理解できないのであれば、予め問題を与えておいて授業に臨ませてはどうか。一部の授業でこの方法を取り入れてみましたが、格差は拡がるばかりでした。
 やはり、本人が授業に積極的に参加しないことには話になりません。生徒をどれだけ授業に引き込むことができるか、そこが教師の力量です。注意を惹くために、面白いことを話す。時にはあえて脱線してみる。これもテクニックの一つです。しかし、それだけでは全く無意味です。生徒が反応しているのは雑談の時だけ、いざ考える段になってぼーっとしているようでは授業とは言えないでしょう。また、「教えるべきことは伝えましたよ。あとは君たち次第ですよ!」と突き放すのもたまには効果的ですが、いつも使うべき手法ではありません。伝えたい事がちゃんと相手に届き、相手の心に残らなければ、教えたことにはなりません。
 授業を受けた生徒達に、余韻が残るような授業を目指していきたいと思います。
<732> 2007.5/27〜2007.6/3
 現在10数名の中学1年生が幾何の授業を受けています。彼らは、ちょうど中間テストが終わった頃。初めての試験はどうだったのでしょう。新しい環境に馴染む間もなく、ここまで来てしまったという子もいるのではないかと思います。彼らの会話を聞いていて、ふと自分の中学生時代を思い出しました。

 授業はとても面白かった。毎日新しいことを教わる。今まで知らなかった世界ばかりだ。知識が増えるとともに、新しい世界がどんどん広がっていくのが実感でき、嬉しかった。例えば英語。アルファベットも知らず戸惑うことばかり。それでも、全てが新鮮だった。そして数学。幾何は大好きだった。1つの定理を知り、それを使うとまた次の定理につながる。一見不可解な事象でも、それらの定理を組み合わせることによってちゃんと証明できる。古文や漢文も未知の世界だったが、興味深く学ぶことが出来た。
 ところが、いつからだろう。今まで理解できていたことが、意味不明になってしまった。今ならその原因がはっきりと分かる。しかし、当時は深く考えようともせず、何とかなるさと楽観していた。次第に、勉強以外のことへウェイトを置くようになり、気がついたときには、取り返しがつかない状態になっていた。そこで心機一転、頑張れば良かったのだが、一度ついた怠け癖はすぐには直らない。その後は、悪循環のくり返しだった。

 おそらく、私は勉強を(強いては世間を)なめていたのでしょう。それほど努力をしないでもある程度理解できた(と思っていた)ものだから、真剣に取り組もうとしなかったのだと思います。やりもしないくせに、やればできると勘違いし、思い上がっていました。そうです。私がいつも生徒達に言っていることそのままです。自身の反省をふまえ、こうはなって欲しくないという想いから、私は厳しいことを要求しているのかも知れません。しかし、これは事実です。現実の問題から逃れ、努力しようとせずに楽ばかり求める。その結果は、どうしようもなく自分本位で、短絡的な考えしか持ち合わせない、いい加減な人間になってしまうのです。一旦そうなると立ち直るには大変なエネルギーが要ります。決して大袈裟に言っているつもりはありません。今ならまだ間に合います。生徒諸君!現実を直視し、まじめに問題に取り組んでいきましょう。
<733> 2007.6/4〜2007.6/10
 年間休講日。しばし仕事を忘れ、のんびりとしました。と言っても1日だけで、次の日は6年生の第1回の合格判定テスト。否が応にも現実に引き戻されました。精一杯がんばっている人も多いのですが、私は心配でたまりません。
 今回のテストでは、算数を意識的に(少しだけ)難しくしてみました。苦戦する子もいるだろうなあと思っていたところ、その通りの結果となりました。いや、予想以上でした。問題作成の手の内を明かすようで少し抵抗がありますが、この際書いてしまいましょう。応用力を見るためにひねりを加えるといっても全部にではありません。例えば、大問で生徒達の理解度をチェックしようとした場合、その問題の問1および問2は確実に取れるように簡単にします。問1が問2のヒントに、そして問1と問2が問3のヒントになるようにするのです。実際の試験では、そこまでヒントを与えてくれません。最近では、いきなり問3レベルのことを問われることもよくありますが、私は好みません。「これはどうです?分かりますか、分かりませんか?」といきなり白か黒かを問うより、「これでどうです?分かったでしょ!」と導いてから尋ねる方がその子の理解力が測れるからです。もちろん、そんな親切な問題ばかりでも実力は判断できません。出来るか出来ないかをはっきりと問うこともあります。その場合、私はできるだけ小問で確かめるようにしています。(6年生に限らず、復習テストなどは全てこの形式です)テストは、点数だけで評価していません。1人1人がどこを間違えたかをチェックし、またそれが何故かと考えます。
 今回の結果には、「応用力の不足」だけではなく「基礎力の欠落」までもがはっきりと現れていました。では、その原因は何でしょう。個々に問題はありますが、共通しているのは取り組む姿勢の甘さです。「言われるからやる。言われなければしない」では話にならないのです。応用力は基本がしっかりとして初めて培われます。自分が何故この問題ができなかったのか、どこで間違えたのか、それとも全く分からなかったのか、など1問ずつ真剣に見つめ直してこそ、次にやったときにできるようになるのです。表面だけの復習からは何も生まれません。
 「私が何を言おうが、私から何を言われようが、決して志望校は変えるな!」とここまで言い続けてきました。その気持ちは今も変わりません。しかし、問題解決を図ろうともせず、方法を改めようともせず、ただ口だけで大きいことを言っていても、絶対に夢は実現しません。
<734> 2007.6/11〜2007.6/17
 今回は「夢」について。夢と言っても2通りあります。希望や願いの類の夢と、睡眠中に見る夢と。ここで取り上げるのは後者。眠るときに見る夢です。広辞苑によると、「睡眠中にもつ非現実的な錯覚または幻覚。多くの視覚的な性質を帯びるが、聴覚・味覚・運動感覚に関係するものもある」と説明されています。なるほど、夢は錯覚や幻想なのか。
 前回のエンジョイコースの作文テーマは「最近見た夢」でした。見た夢を覚えていない人には見たい夢を書いてもらいました。生徒達がどんな夢を見ているのか知りたく、また自由に書きやすいテーマだろうと思ったのです。ところが驚きました。夢を見ないという子がいるのです。1人ではありません。半数近くの生徒がです。私がよく夢を見るだけに意外でした。私は眠ると必ず見ると言っても良いでしょう。電車の中での数分の居眠りでさえ、夢を見ていることがあります。もっとも、若い頃はその内容をよく覚えておりましたが、最近はすぐに忘れてしまいます。楽しい夢・悲しい夢・嬉しい夢・怒っている夢・恐い夢・・・同じ夢を何度も見たこともあります。あまり詳しく書くと、私の心理状態が分析されてしまいそうで恐いですね。若い頃はよく空を飛んでいました。最近は全く飛べません。実在する人の夢はよく見ます。ただ、シチュエーションはごちゃごちゃで、小学生の私が息子と話をしていたり、高校時代の先生に大学の単位がヤバイよと言われたり。授業の夢はよく見ますね。現在の生徒と昔の生徒が一緒に登場していますが・・・。よく、夢には深層心理が表れると言われます。気になっていることや願望が夢に出るのでしょう。医学的な脳のメカニズムはわかりません。けど、心理学には興味があります。少し勉強しようかな。
<735> 2007.6/18〜2007.6/24
 今回の教育講演会は、高槻中学校高等学校教諭の公庄博先生をお迎えして、『論語と教育』というテーマでお話しいただきました。
 一風変わった会となりました。高槻中学校高等学校の自慢も宣伝も一切ありませんでした。先生のお話を初めてお聞きになった方は、少々面食らったかもしれません。まず、言葉に飾り気がないのです。もちろん乱暴な口調ではありませんが、美辞麗句を並べることは絶対になさりません。いきなり、本音トークが始まりました。
 大学受験を成人式に例えられ、だれもが成人式を迎えるが、どのように迎えるかが大切なのだと仰りました。きょとんとしている方が多かったからでしょう。登山に例え、山に登るにはどの山に登るのかも重要だが、どのように登るかがさらに大事。登り方一つでその山に対する印象が変わってくると言い直されました。それならば分かります。私も大きく頷きました。親としては子どもに苦労をさせたくはない。しかし苦労しなければ子どもは成長しない。では、どのようなスタンスで子どもと向き合えばよいのかをお話し下さりました。
 まず親がゆとりを持つことが必要だと言われました。近視眼的な見方では子どもがつぶれる、いやつぶされると。実際に不登校におちいる生徒や精神的に脆い生徒が毎年いるが、全てではないにしろ保護者に問題があるケースが多い。受験が全てだなんて思っていると、手痛い目に遭う。しかし、どのように子どもが育っていくかを大きな目で見ていけば、さほど大きな失敗はしないはずだと。
 次に「学習遺伝子」について話されました。漢字の成り立ちを引き合いに出され、説明下さりました。道という字には何故、首という字がふくまれているのか。學という字の上の部分は何を意味しているのか。また、羽が白いと書いて習になるのはどうしてか。等々。知らないことばかりで、とても興味深く伺いました。人間は元来、知らないことを教えてもらうのは楽しいと感じるようにインプットされているそうです。そもそも人という哺乳類は弱い動物ゆえに、他人の考えを学び取り入れていかねば集団で生きていけない。楽しくなければ学ぼうとしない。生きるために備わっている要素、それが「学習遺伝子」だ。ところが、この「学習遺伝子」は本人が実際におもしろいと思わなければ働かない。いくら、口で「面白いでしょ、楽しいでしょ」といったところで、何の役にも立たない。楽しいと気づかせることこそが教える者の役目であり、そのスイッチがONになりさえすれば後は勝手にやってくれる。しかし、教える者が楽しくなければ伝わらない。教える側の問題はとても大きい。では何が今の教育をダメにしたのか。そもそも人間の能力が同じであると考えること自体が間違いである。人間の価値は等しいが、能力は決して平等ではない。論語の中の一節「孔子曰、生而知之者、上也。學而知之者、次也。困而學之、又其次也。困而不學、民斯爲下矣」を引用され説明下さりました。能力に合わせて鍛えるから、また鍛えられるこそ楽しいのだとも。
 孔子についてのエピソードや、論語に関してのお話は尽きませんでした。流石は、漢詩の第一人者です。もっとお話を伺いたかったのですが、大分セーブされていたようです。
 最後に子どもがつぶれそうになったときに、立ち直らせるためには何が必要であるかを教えて下さりました。それは、子どもが親を好きであること。そして親も子どもが好きなこと。一緒にいて楽しいと感じる関係ならば、子どもがおかしくなったりはしない。正解はないかも知れないが、楽しむことが一番ではないかと、お話を締められました。
 素晴らしいお話を伺うことができ、私はとてもさわやかな気持ちになりました。先生のお人柄のおかげだと思います。
 今回の講演はビデオに撮影いたしました。教室内での視聴に限らせていただきますが、ご希望の方はお申し付けください。
※ 公庄先生の紹介はこちら
<736> 2007.6/25〜2007.7/1
 夏期集中講座の時間割を作成中です。科目はまだですが、日時だけは決定しました。事前に教えていただいた各ご家庭の予定を考慮に入れながらの作業はなかなか困難でした。全員の希望に沿うことは出来ませんでしたが、精一杯考えましたので、どうぞご了承下さい。さらに、今年からはアルゴクラブもあります。アルゴクラブの授業は毎土曜日。それを崩すときっと混乱するでしょう。時間帯だけ平常と異なる設定にさせてもらいました。
 6年生にとって、夏休みは最大の山場です。例年通り200時間の授業を組みました。精一杯頑張ってもらいたいと思います。ただ、心配なのは一部の生徒。未だに「言われるからやる」といった有様。どうしてもっと強い意志を持てないのか。情けなくなります。夏休みが始まるまでに心を改めない限り、彼らにとって何のプラスにもならないただ辛いだけの毎日になることでしょう。
<737> 2007.7/2〜2007.7/8
 早くも7月。いつの間に1年の半分が終わってしまったのでしょうか?これは現実なのかと、不思議に思えるほどです。一体この早さは何故なのでしょう。
 決して怠けていたわけではありません。自分なりには目標設定もできており、着実に実行してきたつもりです。ただ、何かひっかかるのです。何かが物足りないのです。目が回るくらい忙しい毎日ですが、幸い体も心も健康です。仕事がはかどらなかったり、事が思い通りに運ばなかったりしても苛立つことは、以前に比べるとはるかに減りました。まあ、長い間に培われた智恵みたいなものでしょうか。問題は1つ1つ解決していくより他はないと分かってきたのでしょう。しかし、その反面、がむしゃらさが失われてきたようにも思います。問題から逃げているつもりはないのですが、今までなら真っ向からぶつかっていたようなことにでも、「まあ慌てなくても大丈夫。必ず解決できるはずだ」とやや距離を置いて眺めているようなところがあります。多分その方が楽だからでしょう。どちらが良いのかは分かりません。しかし、この妙な物足りなさは、おそらく現在のぬるい生き方が原因ではないかと思います。
 HOPESを開設して17年目の夏を迎えます。もう一度、初心に返り、真っ向勝負を挑みたいと考えております。
<738> 2007.7/9〜2007.7/15
 「さあ、いよいよ夏休み!」と言えば、少し気が早いと言われるかも知れません。けれど私の中では、気分はもうすっかり夏モード。先日の全体保護者会でも、この気持ちをお伝えしたかったのですが、果たして受け取ってもらえたでしょうか。17年目の夏を迎えるに当たって、もう一度初心に戻り、生徒達とまっすぐに向かい合う決意を述べさせてもらいました。
 今の生徒達は、いくら口で言っても効き目はありません。何遍注意しても同じことのくりかえしです。そこで諦めてはいけないのは当然ですが、まず自らが範を示そうと思います。私達が本気にならねば誰もついては来ません。「黙って俺について来い」というのはもう古いのかも知れませんが、熱意のない者の言うことを聞くほど子供達も愚かではありません。正しい姿を示しさえすれば、何が大切かは分かるはずです。熱い想いを伝えたいと思っております。
<739> 2007.7/16〜2007.7/20
 台風4号近畿を直撃か?!との情報にやきもきしましたが、マンニィ(=台風4号)は幸い進路を変え、私達にはさほど影響なく、無事に授業を行うことができました。
 毎年、この時期の気象にはハラハラさせられます。一応、原則として大雨や暴風警報が発令されているときには授業を中止する事にしているのですが、警報が出ているから即中止というわけではありません。一部の地域に大雨が降っていても教室近辺が晴れていることもあり、中止か決行かの判断にはずいぶん迷います。できるだけ中止にしたくはない(特に6年生となると、振り替える日がないのです)というのが本音ですが、あくまでも安全重視で決定したいと思っております。中止にする場合は必ずこちらから各ご家庭に連絡を差し上げますので、連絡がないときは決行とお考えください。ただ、最終的には各ご家庭の判断に委ねますので、よろしくお願いいたします。

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