<670> 2006.2/6〜2006.2/12
 新学年がスタートしました。一回り、ほぼ全員に授業をした感触ですが・・・。
 いいですね。なかなかいい。6年生はスタートしてすでに2週間以上経っていますから、今さら言うのも変ですが、みんなのやる気が伝わってきます。成績はまだまだこれから。でも、これならば大いに期待できそうです。
 私が心配していたのは新5年生。まず授業時間帯がおそくなります。塾に来る回数も増えます。さらに、この学年には4年生の段階でしっかり学習する姿勢を確立できていない人が多かったので、はたして大丈夫だろうかと気をもんでおりました。案の定?宿題が出来ていない人はいましたが、思っていたより少なく、授業中に眠たくなる者もわずかで、ほとんどは真剣なまなざしで授業を受けていました。大きく出遅れていた学年ですが、今の気持ちを持続できれば、その遅れは取り戻せるように思えます。
 新入塾の生徒達も、最初は緊張していたようですが、割と元気で安心しました。しかし参ったのは新3年生。おとなしくしていたのは初めのうちだけ。1時間もするとすっかり馴染み、好き勝手なことを言い出していました。まあ「わからん〜!」と泣き出されるよりはるかに嬉しいから、よしとしましょう。ただ、私に浣腸をした新入生は初めてでした。
<671> 2006.2/13〜2006.2/19
 「いや〜。寒い寒い」と言うと、生徒達からは「暑いで〜!」と言われ、これが年の差なのねと、思っておりました。たしかにもう若くないこともあるでしょうが、それだけではなかったようです。頭がぼーっとする・喉が痛い・足もとがふらつく。ここまでは普段も似たような状態。でも、寒気がする・熱があるとなれば・・・。どうやら風邪を引いていたようです。幸い、症状は軽いので、ご心配なさらないでください。早く治したいと思っております。
 久しぶりに小説を読みました。「博士の愛した数式」。映画を観た方から「良かったよ」と教えて頂き、気になっていたのです。しかし、時間がなかなかとれないため、読むことにしました。(いや、この発想が逆なのは承知しております)とても良かったです。いささか驚くような設定にもかかわらず、違和感なく引き込まれ、一気に読んでしまいました。これからお読みになる、または映画をご覧になる方のために詳細は控えますが、決して数学の難しい話が中心ではありません。私が忘れかけていた純粋な心を描いた、どちらかと言えば切ない物語でした。お勧めです。
<672> 2006.2/20〜2006.2/26
 少し暖かくなったと思ったら、また冷えこみ、落ち着かない気候が続いています。そのせいか、体調をくずしている生徒が多く、心配です。我が家の長男も昨夜から高熱にうなされています。みなさんも十分に注意してくださいね。
 さて今日は、学習面ではなく、通塾の際の安全についてです。
 新入塾・低学年の生徒にはまだ保護者の方に付き添われて通塾されている人が多いので一応安心ですが、問題なのは少し慣れてきた新5年生・新6年生です。特に帰宅時。一人だと考えられないような行動を集団だとしてしまいます。例を挙げればきりがありませんが、携帯を見せ合いしながら道いっぱいに広がって歩く。大声で話しながら歩く。はたまた、突然走り出す。駅の構内でも同じです。全くまわりが見えていません。何度も言っておりますが、事故が起こってからでは遅いのです。事故を完全に防ぐことは難しい。一人一人が行動に注意するをとるしかないのです。今のような状態が続くと、本当に危険です。ご家庭でも厳しく注意してください。また、お車での送迎に関してですが、再三お願いしておりますように、教室前の道路は駐停車厳禁です。ご協力の程よろしく申し上げます。
<673> 2006.2/27〜2006.3/5
 一度会っただけなのに、また会いたくなる人がいます。かと思えば、この人とはもういいやと感じるような人もいます。一体何がちがうのでしょうか。少し考えてみました。
 若い頃は、人と会っていても、楽しければそれでよかった。その場が面白ければそれだけで十分。人間性・人としての重み・深さなど考えたこともなく、また感じもしませんでした。もちろん、今はちがいます。話をしてみれば分かります。ただの一言でも、この人は自分のことだけが言いたいのか、それとも相手のことを考えているのかが、全て分かってしまいます。分かって当然なのですが、昔はそのことに気がつきませんでした。結局、もう一度会いたくなるか否かは、その人が相手を認める人かどうかによるのでしょうね。
 反省も多くあります。それこそ、思慮足らずの発言も多々あったと思います。今にしてみると、私こそが相手からすれば疎ましい人間の典型だったのかもしれません。相手に理解してもらいたくて精一杯話すのだけれど、話せば話すほど誤解されたこともありました。
 ここまで考えて、ふと、私と生徒達との関係に置き換えてみました。生徒が発する信号は、そのほとんどが一方通行です。自分のことしか言いません。人の話を聞かず、勝手なことばかりを言うものですから、会話が成り立ちません。それが私の感情を逆撫でします。しかし、よく考えれば、私も似たようなものだったのです。人のことを責める資格などないのです。まして相手は幼い子供。コミュニケーション能力が低くて当たり前。私が多くの人に見守られてきたように、今度は生徒達を見守っていくべきなのです。大いに反省するとともに、改めていきたいと思います。
<674> 2006.3/6〜2006.3/12
 最近、妙にいらだちます。何が原因なのでしょうか。季節のせい?体調のせい?息子達のふがいなさ?いろいろ思い当たりますが、一番の原因はやはり生徒達のことです。
 一言で表せば、みな緊張感が欠けているのです。そうです。全員です。
 まず、授業中に真剣さが足りません。特に低学年。「まあ、大体分かればいいやんか。分からん所は家に帰ってからやってみるわ」とでも思っているのでしょうか。確かに家で考え直すことは大切です。しかし、授業中にもっとしっかり考えなければ、家でやろうにもできるものではありません。授業では間違っていても、自分で考えていたのであれば、「ああ、ここで間違えたのだ」と気がつきます。が、単に答えを書き写しているだけでは、どこが分からないかすらも不明。そのような状態で、できるようになるはずはなく、結局、やり直すときもただ書き写すだけになってしまうのです。6年生にも同じようなことがあてはまります。
 次に、本の宿題。6年生の場合、現段階では少し難しすぎる問題もあります。ですから、時間を区切ってやり、分からなかった問題は質問に来るようにと勧めています。しかし、それを何か勘違いをしているように思えるのです。難しいからできなくてもよい。簡単な問題だけすればよいのだと。それでは進歩はありません。何でも人に頼ろうとせずに、先ずは考えてみること。すぐに答えを得ようとするのではなく、考えても分からないものだけを質問してもらいたい。また、あきらかにいい加減なやり方でごまかそうとしている人が、各学年に数人ずつ見受けられます。何故、努力する前に楽を求めようとするのですか。ごまかしで目先の問題をクリアしたつもりでも、本当の解決にはなりません。
 誤解のないように申し上げますが、私は何も一つ一つの細かいことを言っているのではありません。長い目で見ていきたいと思っております。ただ、それは今の状態をよしとしているのではなく、努力を通じて本人達が変わっていくことを待っているのです。今のままでは進歩はありません。各自、もっと自分を高めようと努めて下さい。
 思わず、今度の保護者会でお伝えしようと思っていたことを書いてしまいました。
<675> 2006.3/13〜2006.3/19
 先日の全体保護者会には、ご多忙中にも関わらず多数の方々に参加いただき、誠にありがとうございました。午前午後ともに参加くださった方も何人かいらっしゃり、感謝しております。改めて、私どもの責任の重さに身の引き締まる思いでした。
 生徒たちが抱えている現在の問題の原因がどこにあり、またどのように改善していくべきかについて話をいたしました。明るい話題がほとんどなく、非常に重苦しい会となりましたが、ご理解いただけたなら幸いです。中には、話を聞いていて頭が痛くなったと仰る方もおられ、本当に申し訳なく思います。
 問題は時が解決してくれるものではありません。また、他人任せでは何も変わりません。本人のやる気が一番大切であることは言うまでもありませんが、まわりのサポートも必要なのです。最後の最後には全員で心から喜び合えるよう、私どもも精一杯の努力をしていく所存でございます。なにとぞご理解とご協力の程よろしくお願いいたします。
<676> 2006.3/20〜2006.3/26
 1日だけ休みをいただいて、温泉につかって参りました。場所は有馬温泉。一泊だけで次の日は仕事だからと、近場を選びました。う〜ん。でも、近すぎました。(車で1時間ちょっと)今ひとつ、旅行に来たという気分にならないのです。それでも、前日までの雪がうそのような好天に恵まれ、渋滞もほんの少しだけで移動はスムーズ。美味しい食事もいただき、これで文句を言ったらバチが当たりますね。平日だったためか、風呂は空いており、のんびりと過ごすことができました。ただ、息子たちには刺激がなさ過ぎたのでしょう。退屈そうにしておりました。まあ、まだ温泉をありがたがる年ではありませんし、それ以前に家族旅行を喜ぶ年ごろでなくなってしまったのでしょう。悲しいですが、仕方ないことですね。私も高校の卒業旅行?に有馬を選んで(何でやねーんて言わないでね)後悔したことを思い出しました。(悪い所じゃないのです。ただ、若者にはつまらなかっただけです・・・)今回は母も同行し、私にとっては心に残る小旅行となりました。
 さて、春期集中講座が始まります。リフレッシュもできたことですし、気合いを入れて臨みたいと思います。
<677> 2006.3/27〜2006.4/9
 ようやく、春めいてまいりました。今年は桜の開花も早いとか。街中がピンクに染まるのもまもなくでしょう。楽しみです。
 さて、春期集中講座が始まりました。目標をしっかりと定めてがんばりましょう。
 先日、授業である問題を教えていてふと思ったことがあります。その問題は東大寺学園中学校の入試問題で図形が動いた跡を作図するものです。順を追ってていねいに書いていけばできるのですが、みんな非常に遅い。しばらくようすを見ていたのですが、あまりの遅さにあきれ、一体どうしてだろうかと考えました。そしてあることに気がつきました。みんな出来上がりの図がイメージされていないのです。手探りで描いているから、少しずつ狂いが生じていても、それに気がつかない。そう、まるで暗やみの中をおそるおそる歩いているようなもの。出口さえ見えていれば簡単に進めるはずなのに、完成図(=答え)が見えないからさまよい迷っているのです。同じことは、ふだんの生活にもあてはまりそうです。将来の目標をはっきりと捉えられている人は、自分がなろうとするものがイメージできます。もっとはっきり言えば、その目標を達成した自分の姿が見えているのです。たとえば、野球選手になろうと思っている人なら、だれでもグランドで活躍している自分の姿を想像するでしょう。しかし、漠然と「なりたいな〜、なれたらいいな〜」と思っているだけでは、その姿は(非常にボンヤリとしか)見えません。「絶対になるんだ〜!」と心に決めている人には、きっと鮮明に見えるはずです。だからがんばれるのです。また、その姿をイメージできる人のみが目標を達成しているのではないでしょうか。話がやや飛躍しますが、中学入試にも同じことがいえるように思います。目標としている学校で自分が元気いっぱいがんばっている姿をイメージしながら、今は精一杯の努力をしましょう。
<678> 2006.4/10〜2006.4/16
 春期集中講座がやっと終わりました。今年は疲れました。特に後半は、本当に胃が痛い毎日でした。生徒達のたるみきった姿が原因の全てです。
 まず、6年生。何度注意しても同じ間違いをくり返します。今の時期はまだ完成していないのですから当然といえば当然かもしれませんが、それにしても危機感がなさ過ぎます。間違えても顔色一つ変えません。平然としています。やり直しておいでよと注意すると、一応やってきて提出もしますが、真剣に考えて悩んだような形跡がない。これではできるようになるはずがありません。案の定?また同じ間違いをします。何度もチェックできるものはまだ良し?としましょう。中にはこれからの授業ではもうふれないテーマもあるのです。一つ一つ確実に仕上げていくという意識が大きく欠けているように思います。
 6年生でさえ、このような状態ですから、下の学年になればなるほどその意識はさらに低くなります。3,4年生ならまだ構わないでしょう。(本当は良くないのですが、これから徐々に改めればよろしい)しかし5年生となると、これは大きな問題です。5年生のうちに、学んだことをしっかり復習する習慣がついているか否かが、結局は受験の結果を左右します。今の5年生は、その学習フォームが確実に身についている者と全く固まっていない者との両極端に分かれます。ひどい場合は、宿題すら満足にできていません。いや、できていないのではなく、やろうとしていないのです。言われたことを嫌々やっているからごまかしが入るのです。時間がなかった等という言い訳は通用しません。
 休みの間は自由になる時間が多かったはずです。その分、全てが自分の気持ち次第なのです。やろうと思うか思わないか。人に言われてやるのでは面白くないでしょう。自分がどれだけがんばるか。がんばれるか。もう一度考え直す必要があるようです。
<679> 2006.4/17〜2006.4/23
 惜しむらく、先日来の雨で桜は散ってしまいましたが、みんな元気ですか。学校では新学年が始まり、さあがんばるぞというフレッシュな気持ちになっていることでしょう。
 今日の朝刊に、来年度から無料の公立塾が開かれるという記事がありました。経済的な理由などで塾に通えない子どもを支援するために、文部科学省は退職した教員OBによる学習指導をスタートさせる方針を固めたとありました。塾に通っている生徒と学校の授業だけに頼ってきた生徒との学力の格差を少なくするのが目的だそうです。それはそれで、とても喜ばしいことだと思います。ただ、少しおかしいとも思うのです。学力の格差を生み出した原因は、文部科学省の打ち出した方針、ゆとり教育や週休2日制にあるはず。指導要領の改訂がさらに拍車をかけたと私は考えております。そもそも、学校で教えるべき内容を、理解できない者がいるからと言って軽減したことからしておかしい。理解できないのであれば理解させるように努めるべきなのに、分からないのなら仕方ない、(今は)やらないことにしましょう、と責任逃れをした結果が、格差をなくすどころか広げる一方につながったのです。さらに、知識偏重は良くない、もっと総合的な学力をつけるべきだと、国語や算数の授業を減らし、総合学習の時間に充てた。内容も減らし、時間まで減らす。それなのに、読解力が落ちている、数字離れが目立つなど、学力低下が著しいと騒ぎ立てる。話になりません。当然の結果が起きているだけです。その挙げ句、学校で教えきれなかったことを責任転嫁して、これ以上のことは別の場所で教えてもらいなさい。と言っているようにしか思えないのです。
 今回の試みは悪くはないと思います。しかし先ずは、学校での学習内容の見直し、指導体制の立て直しから取り組むべきではないのでしょうか。メインの教育機関(学校)をもっときっちりとした上で、補助的な機関を充実させないことには、問題は解決しないと思います。
 私たちは幸いにして恵まれた環境にあると言えるでしょう。限られた範囲ではありますが、通ってきてくれる生徒達に確実な学力と正確な判断力をつけることが私どもの使命と考えております。思い上がることなく、精進を続けていくつもりです。

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