<650> 2005.9/19〜2005.9/25
 日中はまだ暑いものの、朝晩は涼しく、虫の声も聞こえるようになってまいりました。
 さて、今週も先週の続き、保護者会でのお話です。
 前回、この欄で「心当たりのある方はご連絡下さい」と書いたところ、何人かの方から相談を受けました。ありがとうございました。(本当はもっと多いかと思っていましたが)多くの保護者の方に共通しているのは、我が子を過大評価していることです。盲目的に信じていると言った方がよいのでしょうか。子供たちの言うことを信じるのはとても大事なことです。しかし、時には「本当に大丈夫か」と、疑ってみることも必要だと思います。
「宿題はやったの?」
「うん、やったよ」
「やり直しは?」
「やってるよ」(本当はこの順番も逆ですね。やり直し→宿題の方が望ましい)
「分からないところはないの?」
「ないよ」
 どこの家庭でも聞こえてくるようなやりとりですね。ここで「じゃ、持っておいで」とチェックするのも一つの方法でしょう。明らかに手を抜いている場合はここで分かります。 しかし、大抵は子供の言うことを信じ、いや疑おうとしないで、そのままにしていることが多いはずです。そして、次週も同じことの繰り返し。子供たちは、親はごまかせるものだと思うようになり、次第に言い訳やうそが多くなってきます。
 では、一体どこでチェックすればいいのでしょうか。それはずばり「小テスト」です。やり直しも宿題も全てやり、分からないところもない生徒が、小テストで半分にも満たない点をとることは、ふつうならば考えられません。どこかにうそがあるのです。点数だけで判断するのはよくありませんが、やはり何かやり方に問題があるのです。幸い、現在は全教科で小テストを行っています。子供たちが真剣に勉強しているかどうかのチェックに役立てて下さい。
 さらに、成績が伸びない生徒たちには共通して不足していることがあります。それは、真剣さ。いい加減な気持ちや中途半端な取り組みでは、何も残りません。
 まだまだ言いたいことはありますが、この先の答えは、各ご家庭で見つけていただきたいと思います。
<651> 2005.9/26〜2005.10/2
 運動会のシーズンです。私も先日、久しぶりに母校の体育祭に行って参りました。卒業以来ですから、27年ぶりになります。さぞ、変わってしまったのだろうと思っておりましたが、意外や意外、ほとんど昔のままでした。(応援合戦がやや派手になったくらいでしょうか)母校では、体育祭に関して教師はノータッチです。体育委員が中心となり、企画から準備、実行から後かたづけまで全て生徒達に任されます。私も3年間体育委員を務めました。委員と言っても全くの裏方。ですが、それが楽しいのです。遅くまで学校に残って、あれやこれやといたします。初めて食べた出前のラーメンの味はいまだに忘れられません。フォークダンスの講習を受けたこともありました。(この経験はその後の人生に全く役に立ちませんでしたが)今でもその伝統は受けつがれているのでしょう。体育委員は忙しそうに駆け回っていました。競技の内容も当時とほとんど同じで、まるで高校時代に戻ったかのような錯覚を覚えました。でも、30年の年月は大きい。見物しているだけで疲れてしまうとは、何て情けない。やはり私は悲しい中年でした。体だけ高校時代に戻る術はないものでしょうか。
 さて、みなさん。運動会が終わったら、そろそろ勉強に真剣に取り組んで下さい。2週間にわたってこの欄でも書きましたが、いまだに目覚めない者の多いこと。特に今の6年生には呆れるばかりです。入試まで後110日しかないというのに、あの気楽さは一体どこから来るのでしょうか。私には到底理解できません。
<652> 2005.10/3〜2005.10/9
 今週はおめでたいお話を。え?どうせ阪神の優勝のことだろうって?全く違います。たしかに、ペナントレース終盤の戦い方を見ていると、目標を持っている人間とそれを見失った人間の違いをいやと言うほど感じました。目標を持つことがいかに大切なことか・・・。いや、このことはまたいずれそのうちに。今日は純粋におめでたいお話。
 みなさんよくご存じの小島千佳志先生。(そう、HOPESが誇る若手講師陣の中でも一番のイケメン)彼が、このたび結婚しました。!(^^)!(^O^)(^_^)v
 結婚式は来月海外で行われ、その後新生活をスタートされますが、入籍はすでに先週すまされています。先日お相手のお嬢様とお会いしました。それはそれはとても可愛らしいお方(奥様というよりはまさにお嬢様)でした。気取ったところもなく、千佳志先生とは似合いのカップルです。お二人は学生時代からのおつきあいだそうで・・・。おっと、この続きはご本人からお聞き下さい。
 家庭を持つということは、責任を持つこと。彼はきっとこれまで以上にがんばることでしょう。私も、結婚当初(一体何年前の話やねん)の新鮮な気持ちに返り、精進していこうと思います。
 千佳志先生。どうぞお幸せに。本当におめでとうございます。
<653> 2005.10/10〜2005.10/16
 エンジョイコースで、「君たちは今、何をがんばっていますか?また、それはどうしてですか?」をテーマに作文を書いてもらいました。まだ下書きの段階ですが、みな様々なことを書いていました。「ほう、いろんながんばりがあるものだなぁ」と感心しております。(一人も勉強をがんばると書いた生徒はいませんでした)提出まではまだ時間があるので、どのような作文が集まるか楽しみです。
 人はよく「がんばれ!がんばれ!」と言います。また、だれもが言われたことがあるはずです。実際私もよく口にします。しかし、なぜ人はがんばるのでしょう。いや、何のためにがんばるのかと言い換えた方が良いかもしれません。人のためなのか?自分のためなのか?立場の違いによってその答えは当然違ってきます。たとえば、君たちのお父さんが、親として「がんばる」のと、社会という組織の中で「がんばる」のとでは意味が違います。親としての「がんばる」は家族のためであり、それが生活のため(経済的理由)の場合もありますし、子供たちに人間としての正しい姿を見せるため(親としての教育)の場合もあるでしょう。社会の中で「がんばる」ことも、大きな意味では人のためにつながるのでしょうが、相手が目に見えているのとそうでないのとでは、やはり少し違うように思います。個人としての「がんばる」には自分のための要素が強いように感じます。がんばれば満足感が得られ、充実した気持ちになります。何かを成し遂げた後には達成感も得られます。自己充足とでも言えばよいかもしれません。この充足感があるから、またがんばれるのです。
 では、君たちの「がんばる」はどうでしょう。きっとほぼ全員が、自分のためだと言うはずです。そうです。みんな、自分の夢をつかむため、自分の夢を実現するためにがんばっているのです。しかし、中には勘違いをしてしまう人もいます。「がんばる」のは誰かに認めてもらうためだと。(君たちの場合、認めてもらう相手は親になりますね。もしくは好きな人?)これはある意味では仕方ない錯覚かもしれません。たとえば誰一人応援してくれる人がいない運動会。君は一生懸命走れますか?誰か応援してくれる人がいるから、見守ってくれる人がいるからこそがんばれる。これは事実です。そして、その人にほめてもらえば嬉しくなります。認めてもらえれば「よーし。もっとがんばるぞ!」と思うのも当然のことです。しかし、だからといってその人のために「がんばる」のはどうでしょうか。少しおかしいと思いませんか。あくまでも「がんばる」のは自分の夢のためだったはずです。
 そもそも「がんばる」という言葉の語源は「我を張る」だと聞いたことがあります。何もわがままを言うことではありません。自分の意志を貫く(=自分を通す)ことが「がんばる」ことなのです。その意味では、「がんばる」のはだれのためでもない、自分のためになりますね。広く考えれば、先ほどの家族のために「がんばる」ことだって、結局は自分のためと言えるのではないでしょうか。家族が幸せにくらすことは、自分の喜びにつながります。また、その逆もしかりです。人のために「がんばる」ことも、その人が喜ぶ姿を見ることで、最終的には満足感が得られるのです。
 しかし、「がんばる」ためには、目標が必要です。目標があるからがんばれるのです。スポーツ選手を例に挙げるまでもないでしょうが、彼らは目標があるから、苦しい練習にも耐えられるのです。一方、目標を見失った人たちはあわれです。このことは、君たちにもそのまま当てはまります。今回のショート通信で、全員に「何のために勉強するのか」と問いかけました。たとえ、君たちの見つけた答えが正解(はたして正解ってあるのだろうか)でなくても構いません。一度真剣に考えてみてください。
 今回は、難しいテーマに挑戦?したため、まとまりのない文になってしまいました。本当はこの続きがあるのですが、あまりにも長くなるので次回以降にいたします。
<654> 2005.10/17〜2005.10/23
 先週の水曜日のこと。3年生の授業が終わり、さあ皆さん帰りましょ。と生徒を送り出そうとしているときでした。小島先生が血相を変えて「生徒が車と接触しました」と教室に駆け込んできました。急いで外に出たら、保護者の方々もあわてています。まだよく事情がつかめずにいると、はねられたという本人がやって来るではありませんか。外傷もないようなので、一安心。しかし、何といっても車とぶつかったのですから、とにかく病院へ行かせました。(小島先生に付き添ってもらいました。病院まで連れて行ってくださったF様。ありがとうございました)その場にいた生徒に様子を聞いても今ひとつよく分からず(実は、その生徒もその車と接触していたらしいことが後で判明)、ここはひたすら小島先生からの報告を待つことに。彼は適時連絡をくれましたので、それほどやきもきせずにすみましたが、それでもやはり心配は心配。で、検査の結果は「打撲」。経過を観ていきましょうとのことでした。大事に至らなくて本当に良かったです。
 事故は完全に防げるものではありません。しかし、注意を払ってさえいれば、ある程度は避けられるものが多いはずです。今回の事故は、もちろん車の方が悪いのですが、果たして100%相手に非があると言い切れるでしょうか。夕暮れ時。いくら横断歩道の上だとはいえ、すべてのドライバーが注意深い人ばかりだとは限りません。小さな子供が走ってきても気が付かない事があるかもしれません。現にあったのです。危険はどこに待ち受けているか分かりません。「歩道を歩いているから大丈夫。青信号だから安全だ」などと油断せずに、絶えず「何が起こるか分からないんだ、気をつけなきゃ」と注意して行動すべきではなかったのでしょうか。こんなことはこの程度ですんだからこそ言えることです。もしもっと大変なことになっていたら、そのときはもう何を言っても遅いのです。
 事故は、他人事ではありません。みんなの普段の様子を見ていたら、はらはらすることばかりです。今一度、自分の行動を戒め、安全であるために最大限の注意を払うように努めて下さい。
<655> 2005.10/24〜2005.10/30
 先日の冨士中学校・高等学校校長の土居宗千代先生をお招きした教育講演会。ご多忙にもかかわらず参加下さった方々、誠にありがとうございました。素晴らしいお話をたくさんうかがうことができ、私はすっかり元気になりました。本来ならば、ご用事で参加できなかった方々のために講演の内容を少しでも再現し、ご報告すべきなのでしょうが、今回は割愛させて頂きます。講演会の様子はビデオに撮影しましたので、ご希望の方には貸し出しいたします。お申し込み下さい。
 で、今回は少し趣向?を変えて、最近飲んだ美味しいお酒のお話。2つあります。
 実は、講演会の後に校長先生と食事をご一緒させてもらいました。事務局長の浦本先生にも同席していただきました。お二方ともその日の朝に大阪に来られ、お疲れであるのに時間を取って下さりました。そもそも私ごときがおつきあいさせてもらえる方々ではないのです。にもかかわらず、人間が大きいとでも言えばいいのでしょうか。私の馬鹿な質問の数々に嫌な顔一つされずお答えになり、さらに多くのことを熱く語って下さいました。実に楽しく、かつ有意義な時間を過ごすことができました。上手く表現できないのがもどかしいのですが、こんなに誠実な人がいるのだろうかと思いました。真剣に生徒達のことを考え、その子達のために何をすればよいのだろうか、何かしてあげられることはないのだろうかと、絶えず考えられていらっしゃいます。立場こそ違え、私どもと共通する心を感じ、とても嬉しくなりました。「人間が生きていくために一番大切なのは誠実さである」とおっしゃった言葉に全くウソは感じられませんでした。さらには「誠実さだけではダメだ。したたかさも必要だ」と言われ、なるほどと納得いたしました。先生のおっしゃる「したたかさ」とは、狡猾さではありません。逆境にもめげない強さ、逞しさのことです。しなやかさと表現するのが近いかもしれません。他にもたくさんのことを教わりました。まるで「教育とは押しつけるものではないのです。相手のことを理解することですよ」と頭のかたい私を諭されているかのように感じました。しかし、嬉しくなりついつい飲みすぎてしまい、失礼なことがなかったか、とても心配です。後半の記憶がおぼろげなので、きっと失礼なことばかりのはずです。先生方どうかお許し下さい。
 もう一つは、教え子の結婚式に出席したことです。HOPESのスタッフとして、学生時代に一緒に働いてくれた青年です。HOPESは小さい塾とはいえ、色々とやらねばならないことがあります。こう見えても結構忙しいのです。彼は、その一つ一つをいつもニコニコかつテキパキとこなしてくれました。非常に繊細な神経を持ち、細やかな気配りのできる、心優しいそして誠実な青年です。私は彼を教えたというより、彼から教わったことの方が多いように思います。彼は現在、医師として活躍しています。(新婦もお医者さんです)でも、偉そうな所は全然ないのです。ご両親とお話をしていて「実によい教育をされている。なるほどなあ」と感じました。心温まる結婚式に臨席することができ、これまたとても嬉しくなりました。ただ、スピーチが上手くできなかったのが申し訳ないというか、心残りで仕方ありません。
 ところで、今週の年間休講日。私は四国まで行って参ります。ある方にお会いする予定です。そこでもきっと楽しいお酒が飲めると期待しています。「飲んでばっかりやな〜」なんて言わないで下さいね。また報告いたします。
 さて、大分寒くなってきました。体調をくずしている生徒も多いようです。みなさん、健康には十分注意して下さい。
<656> 2005.10/31〜2005.11/7
 年間休講日。行って参りましたよ。高知まで。
 今回の旅の目的は3つです。
  1. 観光&ドライブ
  2. ある人物にお会いする
  3. 土佐塾中学校・高等学校の見学
 先ず、観光ですが、移動に時間がかかったため(今回も車)、十分に出来ませんでした。最初は四万十川まで行くつもりでしたが、高知市に到着したのはすでに夕方。桂浜の坂本竜馬記念館に行くのが精一杯でした。桂浜の夕焼けはきれいでしたよ。(この計画を人に話したら「四国をなめたらいかんぜよ」と言われました)
 宿に帰って、一休み(数時間運転しただけなのに大変疲れておりました)してから、いよいよ今回のメイン。Toraさん、C−Dさんとの対面です。お二人とも塾の先生。(Tora,C−Dはハンドルネームです。外国人ではありません)インターネットの算数サイトで知り合いました。メールのやりとりや電話で話したことはあったのですが、お会いするのは初めてです。授業の後、時間を取って下さりました。はりまや橋で待ち合わせ。(はりまや橋は、有名な割には驚くほど小さい橋でした)現れたのはToraさん。私とほぼ同年代ですが、落ち着いた方だなぁという第一印象でした。(いや、私に落ち着きがなさ過ぎるのですね)実際、笑顔が素敵で、とても優しい方でした。授業中もほとんど笑顔でいらっしゃるとか。見習わないといけません。Toraさんが昔住んでおられた所は何と富雄(私が現在住んでいる街です)ということもあり、最初からすっかり意気投合しました。教育に関しても考えを同じくする点が多くあり、嬉しく思いました。予想通り、いやそれ以上の好人物でした。少し遅れてC−Dさんが登場。意外とお若い。お会いするまで、きっと気難しい方だろうと勝手に思い込んでおりましたが、(彼が作る問題はいつも難しいのです。算数オリンピックにも出題されています)全然違いました。とても陽気な若者で、一緒にいるだけでこちらまで楽しくなります。ただ、私を老人と思っていたらしく、「呑さんはいくつに見えますか?」とのToraさんの問いに「(控えめに)60歳くらいですか?」と言われたのには参りました。私ってそんなに・・・。連れて行ってもらったのはとても雰囲気がよい居酒屋で、私はすぐに気に入りました。鰹のタタキの美味しかったこと。あんなに分厚いタタキは食べたことがありません。ウツボやどろめ(いわしの稚魚)も初めていただきました。素晴らしい味わいでした。最後は全員べろべろで、何を話したかよく覚えておりません(最近こればっかり)が、最高に楽しい時間を過ごせました。是非またお会いしたい人たちです。
 次の日は土佐塾中高等学校の見学です。HOPESの一期生のK君(今年からここで教師をしているのです)に案内してもらいました。土佐塾中高等学校は塾が経営母体。それだけに、きめ細かい指導がなされています。高校の職員室は通路になっていて、生徒は必ずそこを通って教室に行きます。当然、生徒と教師の距離は近くなります。実際ある先生の机にあったパソコンは壁紙が生徒たちの姿になっており、嬉しくなりました。授業も参観させてもらいました。生徒たちは集中して授業を受けていました。私がのぞき込んでも、気を散らす生徒も少なく、感心しました。寮もしっかり見て参りました。(K君は寮の先生。寮で生活しています)とてもきれいで、設備も整っていました。私が今まで見てきた寮とはややタイプが異なるようです。まさに至れり尽くせりの感がありました。K君がすっかり社会人の顔になっていたのを嬉しく思い、帰路につきました。
 強行スケジュールのため、けっこう疲れましたが、心はすっかりリフレッシュできました。今回の旅で学んだことを、今後の指導に役立てたいと思っております。
<657> 2005.11/7〜2005.11/13
 今日は「怒り」について。
 私はどうして怒るのでしょう。また、何に対して怒るのでしょう。怒りの種類やレベルによっても違いますが、私の怒りの多くは他に向けて発せられているように思います。もちろん自分に対して腹が立つこともあります。しかし、それにしても最初から自分に対してではなく、他に対して怒っていることが多いように感じます。では、その原因は・・・。
 実はここ数ヶ月の間、ずっと考えておりました。ある人に「お前は腹を立てすぎだ」と指摘されたことがきっかけです。確かに私はよく腹を立てます。生徒に対しても、家族に対しても、ひいては社会に対してまでも。どうしてなのだろうかとを色々考えました。まだ途中の段階ですが、ここまでの考えをまとめてみました。
 簡単に言えば、私は「自分の思い通りにならない」から怒るのです。これじゃまるでただのわがまま人間ですね。「相手に理解してもらえない」から怒るのだと、言い換えられないこともありませんが、それでは少し自分を正当化しすぎでしょう。
 息子達が言うことを聞かないからといって怒るとき。それは私が勝手に出した注文に彼らが応えないからです。けれどそれは、ただ私の理想を押しつけているだけなのです。こう言えばきっとこうするだろう、こうしてくれるはずだという予想に反する行動を取られるから、腹が立つのです。我が子のことを思えばこそ叱るのだ。これもまがう事なき真実です。しかし、「叱る」のと「怒る」のとは違います。「叱る」は相手のことを考えての行動ですが、「怒る」は単に自分の感情です。両者を完全に区別することは難しいです。そもそも怒らずに叱ることは可能なのでしょうか。でも、今回はあえて別のものとします。
 生徒達を怒るときはどうでしょう。息子を怒るときと似ています。私が一番怒るのは約束を破られたときです。この場合の約束とは、「宿題や復習をちゃんとやってくる」ことだと思われそうですが、実は「自分の精一杯の努力をする」ことなのです。しかし、これとて私が勝手に思い込んでいるだけなのです。それなのに、その約束が一方的に破られ、さらには嘘でごまかされたとき、私は怒り狂うのです。(自分としては)あれほど言った(だから分かってもらえると思っていた)のに通じていなかったことに対して、怒るのです。その瞬間、相手への思いやりはなくなっています。
 しかし、どうでもよい相手に対して、怒りは感じません。ただあきれるばかりです。例えば、電車の中。化粧をしている女、大声を出している酔っぱらいども、携帯をずっといじっている若者達。本当ならば、彼らに対しても怒り、注意すべきなのかもしれません。でも、私にそのエネルギーはありません。
 このように考えてみると、つくづく私が自分勝手な感情から怒っていることがわかりますね。それでは、どうすればよいのでしょうか。怒らなければいいのでしょうか。おそらくそれは無理でしょう。しかし、できるだけ感情をコントロールするべきだとは思います。腹が立っても怒りは表さず、相手の立場を考えどう対応するべきかを冷静に判断する。そう行動できれば言うことはありません。努めて冷静でありたいと考えてはおりますが、まだまだ未熟者。なかなか理想通りにはまいりません。しかし、腹が立ったとき、自分が今何に対して怒っているのか。どうして怒っているのか。それだけは考え直してみようと思っております。
<658> 2005.11/14〜2005.11/20
 久しぶりに映画を観ました。「三丁目の夕日」。生徒が出演していると聞き、また原作(漫画ですが)は愛読していたので、前から観たいと思っていたのです。残念ながら、生徒がどこに出ていたのかはっきりとは分かりませんでした。(一瞬写ったようにも思えたのですが・・・)それにしても心温まる素晴らしい作品でした。原作とは大分設定が異なっていましたが、全く違和感はありませんでした。昭和30年代前半の東京の下町を舞台に、そこで繰りひろげられる人間模様を描いています。何と言っても、登場人物がみんな純粋なのです。昔はみんなこうだったんだと思うと同時に、何で今は荒んでしまったんだろうと考えてしまいました。物質的な豊かさを手に入れた反面、心の豊かさを失ってしまったのでしょうか?私はそうは思いません。人間の本質は変わっていないはずです。では何がいけないのか?また長くなりそうなので簡単に言いますが、やはり大人が悪いのだと思います。大人を見ながら子どもは成長します。虚栄心や人間的な浅薄さはそのまま伝染します。大人がまあいいだろうと思うことでも、子どもたちにとってはとんでもないことなのです。映画を観ながら私も反省いたしました。
 これからご覧になる方のために詳細は控えますが、私は何度も泣きました。お勧めです。
<659> 2005.11/21〜2005.11/27
 今週も映画を観ました。ここ数年間、年に1本観るか観ないかのペースだったのに一体どういうわけでしょう。今回は、次男の学校で行われた映画鑑賞会に参加したのです。映画「火火」。高橋伴明監督の作品で、実話に基づいて作られたものです。陶芸家神山清子。彼女は息子(賢一も陶芸家)を白血病で失っています。独自の古代穴窯による信楽自然釉を成功させて陶芸界に新風を吹き込む女性陶芸家であり、また息子の発病をきっかけに骨髄バンク運動を始め、全国の白荀病患者を勇気づけ続けていることでも名高い方です。田中裕子が演じているのですが、実にいい味を出しているのです。母として病気と闘う息子を支える姿には心を打たれました。私には到底真似できそうにありません。今回も泣いてしまいました。劇場公開はもう終わっているようですが、機会があればぜひご覧ください。公式ホームページに詳細が紹介されています。
 映画の後、高橋伴明監督と夫人の高橋惠子さんのトークショーもありました。実は彼女を見たいがために参加したのです。遠くからしか見られませんでしたが、それでも十分美しい女性だということはわかりました。しかし、トークショーはあまり面白くなく、生徒達の中には失礼にも寝ている者が多かったようです。私も途中で帰ってしまいました。
 期せずして今年は「芸術の秋」となりました。そろそろ本業にもどり、学習指導に没頭しようと思っております。

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