<790> 2008.8/19〜2008.8/31

 暑い暑いと言っているうちに、夏休みもあと2週間になってしまいました。みなさん、お元気ですか。私はわりと元気です。
 集中講座の期間、ほとんど1日中教室にいるわけですが、時々考えてしまうことがあります。生徒たちはとてもがんばっています。しかし、全員が順調なわけではありません。「この子達の力を伸ばすために一番良い方法は何だろう。力をつけるのにもっとよい方法はないだろうか」と。いろいろと工夫を試みてはいるのですが、いつも同じ問題にぶつかってしまいます。その問題とは・・・。
 何もせずに力がつくはずはありません。先ずは授業を真剣に受けることから始まります。私たちは何よりも授業を一番大切に考えています。ところが、ここで最初のカン違いが生じます。授業を聞いてさえいれば良いと思っているような人が必ずいるのです。彼らは自分から考えようとしません。一方的に説明を聞き、ただ答えを写しているだけです。これでは授業を受けていても無意味ですから、当然注意をします。注意された方は気分が悪いでしょう。けど、注意をする方もその何倍も嫌な思いをしているのです。全員が楽しく勉強できればそれに勝るものはありません。もちろん多少のことは目をつぶります。しかし、無気力な態度は改まるどころか、注意されなければこれでいいんだと、エスカレートするばかり。こちらは見るに見かねて注意をしているのです。第一、そのような状況では何も残りません。復習しようにもできるはずもなく、結局また写すだけになってしまいます。
 次は家庭学習です。特別なことを要求しているのではありません。授業の復習をし、本当に理解できているかを確認するために宿題をする。ただそれだけなのです。ところが、ここで第二のカン違いが起こります。残念ながらこれまた必ずいるのです。復習や宿題をノルマや何かの罰のように思っている人が。その人達の答案には考えた跡が見られません。授業と全く同じ問題ですら、答えを赤で書き写して終わり。ひどい場合には、ただ提出さえすればいいと思っているのか、違う答えに○がついていることすらあります。叱られるからやる、叱られないならやらないという人は論外ですが、中には「ああ、もったいない」と感じるケースもあります。それは、授業中にある程度理解をしているのに学力が定着していない人達のことです。例えばある問題を間違えたとき、そこでもう一度考え直せば確実になるのに、単に×をつけただけで終わっている。何ともったいないことでしょう。本人はその段階でほとんど意識していませんが、その差は後々とても大きくなって現れます。6年生になって、解けるべき問題が解けない。一生懸命取り組んでいるのにです。何故でしょうか。その原因は、現在にではなく過去にあるのです。復習を確実にしていれば定着したはずのことが、つい適当にしたため身につかずに終わっている。私はそのような例を嫌ほど見てきました。いい加減なやり方になってしまう理由もいろいろあるでしょう。学習に取り組む意識の低さと言ってしまえばそれまでですが、少しのことで大きく改善される場合もたくさんあります。先ずは目標を定め、次にその目標を達成するための計画を立てる。そして計画の実行。このとき重要になるのが、時間の使い方です。ふだんは十分に時間が確保できなくても、夏休みはすべて自分の気持ち次第です。
 授業と家庭学習。この2つが上手くかみ合えば何も問題はありません。要は生徒達にこのことをどう理解させるかです。どこまで彼らに任せればよいのか。そして、どこまで彼らを引っぱっていけばよいのか。
 途中から苦言みたいになってしまいました。泣いても笑っても、残りはわずか2週間。最高の夏休みにするためにも、もう一度見直すべきところは見直し、改めるべき点は改めてもらいたいと思います。全ては自分のためなのですよ。

<791> 2008.9/1〜2008.9/7

 夏休みが終わりました。長かったような、短かったような、妙な感覚です。1日1日を精一杯に生きていたらいつの間にか終わってしまった、そんな40日間でした。最後の方はバテてしまいましたが、一応及第点はつけられるのではないでしょうか。
 世間は、北京オリンピックで盛り上がっていましたね。私も開会式を観て感動しました。機械が作り上げたものだと思ったのに、中から人間が出て来たときは本当に驚きました。人間の力ってスゴイですね。
 日本人の活躍も連日報道されていましたが、私は今一つスッキリしない気分でした。と言うのも、メダルを獲得したらスゴイ、獲得しなかったらダメだという、結果至上主義が気に入らなかったのです。もちろん、メダルを獲得することは大変なことです。しかし、メダルを獲ったからエライのではなく、日々精進を続け、大舞台で自分の力を出し切ったことが素晴らしいのではないでしょうか。その結果、3位だろうが4位だろうが大した問題ではないはずです。なのに、結果だけで判断し、挙げ句は期待どおりの成果を収められなかったときには、その人の全てを否定するかのような報道。良くない風潮です。
 入試においても同じことが当てはまると思います。合格したからエライ、不合格だからダメだなんてことは絶対にありません。結果が良い方が嬉しいのは当たり前ですが、たとえ良い結果につながらなくても、そこまでの努力が消えるわけではありません。やるだけのことをやったのならば、結果は仕方ありません。ただ、中途半端なことをしていては、悔いが残ります。生徒たちには、精一杯の努力を続け、胸を張って勝負に臨めるよう、今をがんばってもらいたいと考えております。

<792> 2008.9/8〜2008.9/14

 生徒に注意したり、叱ったりすることが、正直少々嫌になってきました。こんなことを言ってはいけないのでしょうが、何度言っても一向に改まりません。少し位ならば我慢もできますが、授業の受け方、宿題のやり方、提出物など、全てにわたるのです。この欄でも何度か書きました。
 もちろん、全員ではありません。一部の生徒ならば、放っておけばいいじゃないと言われるかも知れませんね。実際私も、何度か無視しようと思ったことがあります。でも、やっぱり注意してしまうのです。注意をすることは、大変なエネルギーを要します。叱り方にも配慮が必要ですし、叱りっぱなしではいけません。当然のことながら責任も生じます。その子がどう変わっていくか、見届けねばなりません。しかし、全く変わらないのです。同じことのくり返しです。
 一体どうしてでしょう。家庭環境の変化でしょうか。親にも怒られたことがない子が増えているのは確かです。しかし、それだけが原因とも思えません。もしかしたら、私が大切だと思っていることが、彼らにとってはどうでもよいことなのでしょうか。
 諦めたら終わりだとは思うのですが、めげそうになるのを必死にこらえながら彼らと接している毎日です。自分と生徒たちとの距離について、一度考え直してみようかと思います。

<793> 2008.9/15〜2008.9/21

「パパ。どうしてお日さまは沈むの?」
「それはね。お日さまも1日がんばったから疲れたのよ。明日、元気に『おはよ〜!』って言うためにネンネするのよ」
「しょうか。わかった!」
長男が幼いときに、いくどとなくくり返された会話だ。
それを、なぜか今朝思い出した。
そしてふと、今の私に元気はあるのだろうか?と考えてしまった。
あの頃の私は息子達にとって太陽のような存在だったと思う。
果たして今は・・・。
現在の私に、太陽のような無限のエネルギーはない。
疲れていることは確かだ。しかし、まだまだその役目を終えるわけにはいかない。
 これは、HPの「カッパの日記」からの引用なのですが、息子達に対してだけではなく、生徒達にとっても、今の私は太陽とはとても言い難いように思います。
 昔の私は「黙って俺についてこい」というスタイルでした。また、何も言わずとも生徒達もついてきてくれました。ところが、最近はなかなか思うようにはまいりません。黙っていたら何もしないし、口を出したら疎まれる。
 どうしてなのかと色々考えてみました。先週も書きましたが、確かに生徒達の質の変化もあるでしょう。しかし、私自身のパワーが落ちていることも否めません。こんなことで生徒達の指導ができるのだろうか?本当に大丈夫かと、ずいぶん悩みました。そして、ある答えに達しました。それは・・・。
 実は、簡単なことだったのです。偉そうに言っても効果がないのであれば、そのスタイルを改めればよいだけのこと。無理に引っぱろうとはせずに、同じ視点からただ眺めるだけでも良いのではないか?と・・・。
 詳しくは今週の保護者会で申し上げたいと思います。

<794> 2008.9/22〜2008.9/28

 先日の全体保護者会。ご多忙中にも関わらず、ご参加いただき誠にありがとうございました。一部参加率の低い学年もありましたが、私どもへの評価の表れと真摯に受け止め、今後いっそうの精進に努めたいと考えております。
 午前中の低学年の部では、夏期集中講座の報告とともに、最近私が感じている事を正直に申し上げました。教育とはつくづく難しいものだと改めて感じている次第です。
 顧問からは学校選びのポイントについてお話し頂きました。見かけの偏差値や大学実績に惑わされることなく、我が子にあった学校を是非とも見つけて下さい。まずは学校を実際に見る事。自分の目で見て確かめ、生の雰囲気を感じ取ることが大切です。説明会では学校の良い点しかアピールされませんから、登下校時の生徒の様子などを参考に選ばれる事をお薦めします。
 さて、その場で新しい取り組みについて報告しました。常々、生徒達の表現力の低さには危惧しておりました。国語だけではなく、算数においてもその傾向が見られます。日常生活でも然り。と言うのも、答えや会話のほとんどが単語なのです。自分の考えを表現できる者はまれです。原因は色々と考えられます。時代が違うと言ってしまえばそれまでかも知れませんが、昔は意志を伝えられなければ生きていけなかった。大家族の中では、たとえばご飯一つ食べるのにも自己アピールが必要だったはず。しかし現代は少子化の時代。数人の大人が一人の子どもの顔色をうかがっているような有様です。子どもは用意された選択肢から選ぶだけ。何も言わずでも生きていけます。そんな状況では、自分の考えを懸命に伝えようとはしません。また、文章を書かなくなった事も原因の一つでしょう。実際、日常生活では書く機会がほとんどありません。そこで、書く事から始めてみようと考えました。毎週、生徒諸君に作文を書いてもらいます。日記のように毎日書く事が理想なのですが、とりあえずは週に1回。提出された作文には私達が必ずコメントをつけて返します。作文力をつけることが最大の狙いですが、生徒達を理解する手助けにもなればと考えております。初めは、原稿用紙での提出を考えていましたが、たまってくると管理が大変だろうかと、ノートに書いてもらう事にしました。その名も「書いて帳・読んで帳」。いささか恥ずかしいネーミングではありますが、早く慣れて欲しいと思います。毎週月曜日に提出してもらい、水曜日には返却します。作文のテーマはこのHOPES通信の宿題の欄にてお知らせします。強制ではありませんが、積極的に取り組みましょう。
 午後の6年生の部では、今の生徒達に何が欠けていて、どうすればよいのかを話しました。ただ「がんばっている」だけでは、何も残らないのです。生徒達の中で、そのことが理解できている者はほとんどいないでしょう。「がんばっているのに何があかんねん」と・・・。でも、早く気付いて下さい。目標と目的意識がどうして必要なのか。難しい問題ではないはずです。ただひたすら走るだけではトップアスリートにはなれないのです。

<795> 2008.9/29〜2008.10/5

 10月を目前にして急に涼しくなりました。暑さで少々へばっていた私には嬉しい限りですが、急激な変化に体調をくずす生徒が増えないかが心配です。
 さて、この日曜日、私事で恐縮ですが、長男の通う学校の体育祭を見てまいりました。いや、息子は競技には出ないのです。ただ、彼は体育委員長。責任者の大役があります。この学校の体育祭は、伝統的に生徒が主体で、企画から運営まで全て任されています。彼も夏休み前から準備を始め、9月に入ってからは徹夜もしばしば。毎日、始発で出かけ、帰宅も遅く、ここ数日は弁当を食べる時間もないと言っていました。当日までに倒れやしまいかと本当に心配しました。計画が思うように進まず苛立っていたこともあり、また、周りの理解が得られないとずいぶん悩んでもいました。その間、私は何もしてあげられず、ただ見守るだけでした。親という存在の無力さを嫌ほど思い知らされました。
 今日は、彼のがんばりの成果を見届けに行ったのです。
 見事でした。(親ばかと言わないでね)競技はスムーズに進行し、時の流れを忘れるほど。どの競技も楽しく観戦できました。心配された天気も小雨程度ですみ、暑さで倒れる人もおらず、無事に終了しました。いっしょに見ていた母も満足げでした。
 今日一日、指導者の立場を忘れ、(授業も休んで)一人の親として過ごさせてもらいました。明日からはまた、生徒達中心の生活に戻りますので、どうかお許しを。

<796> 2008.10/6〜2008.10/12

 先週この欄で「急に涼しくなって心配です」と書いた途端に、やはり数人の生徒達が体調を崩してしまいました。生徒達だけではありません。私も少しカゼ気味で、本当に情けない限りです。
 さて、HOPES通信の宿題の欄で、6年生のカウントダウンを始めました。今日(10/5)から1/17(土)の統一入試日まであと104日です。これは脅しでも意地悪でもありません。純然たる事実です。「なんでわざわざそんな事を言うの」と思う人もいるでしょうが、言わなければ誰も気が付かなかったでしょう。そうなのです。今の6年生には、ただ漠然とやっている人が多すぎるのです。はっきり言って、今までと同じペースではまず間に合いません。だからと言って、焦らせたり慌てさせたりするつもりはありません。むしろ逆です。『残り時間が少ない=同じ間違いを繰り返してはいけない。1つ1つを確実に仕上げていかねばならない』と言う事なのです。今まで以上に丁寧な復習が必要になってきます。確実に仕上げるためには、苦手をそのままにしないことです。先ずは自分の弱点を把握すること。(テスト類の復習が効果的です)そして、それを徹底的に練習すること。苦手を得意に変えるつもりで、がんばって下さい。

<797> 2008.10/13〜2008.10/19

 またもや連休です。祝日が月曜日に移動するためですが、(土)・日・月の連休は今年だけでも8回もあります。世間では喜んでいる人も多いことでしょうが、残念ながら私たちにはほとんど関係がありません。授業は祝祭日に関係なく行いますし、まして受験生にとって行楽やレジャーなどは無縁。せいぜい学校が休みになるため、時間的に少し余裕ができるくらいでしょうか。
 今回の連休も、5年生・6年生は合格判定テストがあります。6年生は教室の都合で午前開始。弁当持参で臨みます。いささか気の毒な気もしますが、大きな目標のためには甘いことは言っていられません。残り100日を切った今となっては、最後の仕上げに向けてやり抜くだけです。
 一方、5年生にとっては初めての合格判定テスト。さて、いかなる結果を見せてくれるでしょうか。きっと日頃の学習の結果そのままが現れてくることでしょう。そろそろ、受験を意識しながら勉強に取り組んでもらいたいと願います。 

<798> 2008.10/20〜2008.10/26

 先日実施した5年生の第1回合格判定テストの結果が出ました。予想通りとも言えないほど悪い成績に頭を悩ませています。もちろん現時点での評価ですから、それ程悲観することはないのかも知れません。しかし、心配なのは生徒達の受け止め方です。みな、志望はとてつもなく高いのです。にもかかわらずほぼ全員が何とかなるさと楽観しています。
 一人一人と話をし、「君たちが考えているほど現実は甘くはないんだよ。望むだけなら誰にでもできる。夢を実現するには(何が何でもやりとげるんだという)強い気持ちが必要だよ」と言うと、神妙な面持ちで聞き、何を改めるべきかを各々に伝えると大きく頷いておりました。
 しかし、「よし、これなら何とかなるかも」と思ったのも束の間。次の授業を楽しみにしていたのですが、数人は全く反省の色なし。むしろ状態がひどくなっている者もいました。一体どうしてでしょう。彼らにとっては、私の話はただの説教、または叱られているだけのように思えたのでしょうか。それならば納得できます。最近の子どもは、いくら叱られてもその場さえ凌げばそれで良しと思う傾向が顕著です。まあ、1回言ったくらいで、改まるだろうなどと、期待すること自体が甘すぎるのでしょうが、それにしてもあまりにも見事な裏切られ方に愕然としてしまいました。
 「ああ、またこいつらとの根比べが始まるのか。罪の意識のない無邪気な小悪魔どもめ!絶対に負けないぞ」と、こちらこそ気持ちをしっかり持たねばと改めて思った次第です。

<799> 2008.10/27〜2008.11/2

 最近、生徒の学力面以外のことで悩まされております。生徒間のトラブルと言うより、一部の生徒による嫌がらせです。このような低レベルのことを、この欄に書くのは気が進まないのですが、やや目に余るものがあるので、書かせて頂きます。
 所詮は小学生のこと。今までも些細なトラブルや衝突はありました。ただ、いずれの場合も、一度注意を与えると本人達は反省し、同じことはくり返しませんでした。ところが最近は、注意をすると「どうして自分だけが叱られるのだ。他にも同じようなことをしている者がいるではないか」と、開き直るケースが増えて来ました。我が耳を疑いたくなります。また「されたから、するんだ」という意見も多くなりました。もちろん彼らには(自分は悪くないと思っているわけですから)反省などありません。だから、またくり返します。しかも、今度は見つからないよう、巧妙に。実に情けない。私が咎めているのは行為そのものであって、個人を非難しているのではありません。
 私たちは「他人に迷惑をかけるな」「自分がされて嫌なことは他人にはするな」と教えられてきました。ところが現在、そのようなことを言うと生徒は驚きます。「自分一人が嫌な思いをするのは堪えられない。それなら周りも巻きこんでやれ」とでも思っているのでしょうか。
 それぞれに言い分はあると思います。しかし、この際はっきりと申しておきます。
 今後、嫌がらせまたはイジメに類する行為を行った者、意識的に周りに迷惑を及ぼす者に対しては、出講停止または退塾などの厳しい処分を行います。
 以前「この塾の良いところは何ですか?」と訊かれたとき、私は胸を張って「生徒と保護者です」と答えておりました。その頃のような素晴らしい塾にもう一度戻したいと願っております。どうか、ご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

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