佐々木 悠
2期生 1993年卒業

『HOPESと自分』


般若先生との出会いは小学5年生の時でした。今から20年以上前の話です。当時、般若先生は某中堅進学塾の講師をされていて、私もその塾に通っていました。般若先生は有名な先生で、出会う前から評判は聞いていました。怖いという噂もありましたが、実際会ってみると、とても優しい先生でした。当時、私の好きな科目が算数だった事もあり、先生の授業はとても魅力的でした。何故こう解くのかを理論的に教えてくれる授業は将来の自分に大きな影響を与えてくれたように思います。5年生の夏、HOPESが開校するという事で、僕もその塾生になりました。親にHOPESに行きたいとお願いした記憶があります。
 HOPESでは算数、国語、理科、社会を勉強しましたが、得意な算数と理科ばかり勉強していたように覚えています。今さらながら、国語と社会も勉強しておけば良かったなと後悔しています。中学入試は学問を学ぶ土台になっていると、大人になってから感じました。HOPESでは良き先生と良き仲間に恵まれて楽しかった思い出があります。時に優しく、時に厳しい環境が良かったです。おかげで奈良学園中学校に入学できました。
 HOPESの塾生時代は私の人生のたった1年半でしたが、勉強だけでなく、考える楽しさ、学問に対する姿勢、幅広い知識を持つことの重要性も教えてもらえたと、今は感じています。この学問に対する姿勢は私の大学時代の勉強や研究にも活かされました。HOPES卒業後も教室には時々遊びに行かせていただきました。同窓会に誘ってもらえたり、事務のバイトとして雇ってもらえたりと、今でも同期生や卒業生とは交流があります。小学校時代に通っていた塾との交流がいまだにあるなんて、なかなかない事だと思います。その意味でも、HOPESが卒業生の事を良く考えてくれる素晴らしい塾なのだと、改めて感じます。
 これからも宜しくお願いします。

高橋 佑典
5期生 1996年卒業

HOPES 25周年おめでとうございます。
 思えば、私がHOPESの門を叩いたのは小学校3年生の終わりで、入塾テストのときにお兄さんやお姉さんに囲まれて問題を解いていたのが昨日のことのように思い出されます。そして、あの近くにあったたこ焼き屋が美味しく、ほどなくして有名たこ焼き店になったことは良い思い出の一つです。
 私は元々算数が得意でHOPESに入塾したのですが、般若先生の厳しくも心温まるご指導のおかげもあり、6年生まで算数が得意でいられることが出来ました。宿題の提出の際の緊張感、授業中の緊張感は忘れもしません。授業で灘の古い過去問を解いて、解説の際、般若先生が「間違えた人?」と問題毎に聞かれたのですが、恥ずかしくて手を挙げられず、答案返却の際に「僕は嘘つきは大嫌いや」と言われて落ち込んだことも、今となっては良い思い出です。
 話を戻しますが、般若先生の授業は本当に緊張感のある授業だったので中学校に入ってからどんなに怖い先生が授業をしても物怖じするということはほとんどありませんでした。そして中学に入ってから大学受験まで数学が得意で、理系に進学したのも、般若先生のご指導により礎が出来たことが大きいと思います。そして、社会に出てからも、課題解決力が問われる場面で、課題解決に必要な論理的思考が出来る基盤となっているのは、中高時代の数学、ひいては小学校時代の算数の教育のおかげと思っています。
 四半世紀に渡り、信念に基づき教育を続けられていることは素晴らしいことと思います。私自身アメリカの大学院で2年間学びましたが、単なる詰め込み教育ではなく、なぜそうなるのか問題の深層を探り、また勉強を好きになってもらうようにすることこそが、今の日本の教育には必要だと思っており、般若先生はそれが出来る数少ない日本の教育者であると思っています。これからも般若先生のご指導の元、一人も多くの若い才能のある子たちが社会に出ていくことを願って止みません。今後のHOPESのご発展、般若先生のご健勝を祈念しております。

長田 篤史 の母
11期生 2002年卒業

『HOPESと言う学習塾がある』

 

『HOPESと言う看板も広告も出していない少人数制の学習塾がある』と耳にしたのは息子が小学2年・・・18年前の事。H学園、N学園などの大手塾が流行りとなっていた時代でした。まだ早いとは思いつつも息子に適した塾はないかと考えていたところでしたので、電話で般若先生とお話しをさせて頂き『この先生なら信頼できる!』と確信し、3年の春から入塾致しました。
 厳しい!と評判の般若先生の前で息子がかなり緊張した様子であったことを覚えています。宿題量も増えていき辛そうな時期もありましたが『辞めたい』と言ったことは一度もありませんでした。それは、根底に生徒を本気で思いやる先生の気持ちを子供なりに感じ取っていたからだと思います。
 入試当日、大手塾はハチマキに大きな旗を振り大声でパフォーマンスを繰り広げていました。圧倒されそうになっていた息子たちの前に、いつも通りの笑顔で般若先生が近づいて来て紙袋からホッカイロを出して『はい、これ。温かいで』と一人ずつに手渡しました。周囲の喧騒とは別空間に温かい時間が流れ保護者までが心落ち着いたことを思い出します。
 おかげ様で希望校に入学、幼い頃からの夢であった医学部に進学し日々精進しております。送別会で般若先生が長淵剛の『乾杯』を歌って下さったことを息子は今も思い出すようです。
 25周年を迎えられ、HOPESの益々のご発展と先生のご健康を心よりお祈り申し上げます。
                                               

山近 拓
11期生 2002年卒業

この度は開設25周年、誠におめでとうございます。25周年を迎えられましたのも、先生方のご尽力と優れたご指導の賜物と推察いたします。すでに卒業生が500人もおられるということを知り、驚くと同時に、私もその中の1人であることをとても嬉しく思います。
 私がHOPESに通っていたのはもう10年以上も前ですが、当時のことは今でもよく覚えています。3,4年生は学校でまだ習っていない新しいことを学びに行くという感覚、5年生になれば受験を意識し始め、6年生では総仕上げといった感じだったでしょうか。高学年になれば平日だけでなく休日も授業がありましたから、HOPESに通うことは私にとって生活の一部のようなものでした。過ごす時間が多かったから思い出も多く、今でも同級生で集まった時に当時の話で盛り上がることがあります。
 もちろん今となっては懐かしい思い出ですが、当時の私にとっては辛かったこともありました。部活終わりの授業は本当に眠かったことか、翌日提出の宿題が終わらず夜遅くまで問題を解いていたこととかです。
 それでも、今振り返ってみて、HOPESで過ごした4年間は私にとってかけがえのない素敵な時間でした。それは、1つの目標に向かってしっかりと進んでいたからだと思います。だらけてしまいそうな時には先生の厳しさで持ち直し、本来孤独な受験勉強も同じ志を持つ仲間がいることで支えられました。そのような環境で過ごし、やればできるんだという自信を小学生の時に得ることができたのはHOPESのおかげです。心底、恵まれていたなと思います。
 現在、私は社会人となり、新たなスタートを切っております。仕事ではまだまだ学ぶことばかりでいたらない点もありますが、卒業生として胸を張れるような道を歩んでいきたいと思います。

小西 信克 の父
11期生 2002年卒業

HOPESが四半世紀を迎えられたとのこと、おめでとうございます。
 昨年の3月、息子信克は無事に大学院を卒業し晴れてIHIに就職することができました。思い起こせば、今から20数年前、長男が般若先生にお世話になった10年後に、次男がHOPESに入塾させてもらいました。八尾から寺田町まで通うことを心配しましたが、3年間いろいろな学校行事があっても塾を休むこともなく重いカバンを背負って通っていました。塾からの成績に、小西信克と名前が初めて載った時や、上位に載った時は、家族で喜びました。3中学校(帝塚山・西大和・星光)の合格後に書いた、息子の受験体験記は「1000日間、僕は塾とともにあった。運動会のあった日も、修学旅行から帰った日も、僕は塾に通った。母に『信克は塾が命だね』と言われたが、本当にぼくにとって、塾のあった1000日間はとても楽しく充実した日々であった。このHOPESで得た忍耐力と探究心をもって、これからの人生を歩んでいきたいと思う」と結んでいました。
 今年もいろいろな塾の広告に有名校の合格者の人数が出ています。その広告を見る度に子ども達の幼き日々を思い出します。在学中にはアメリカに一年間、留学させることができました。そして、昨年の3月夫婦そろって卒業式に出席することが出来、赤門をくぐり触らせてもらいました。私が高校時代、テレビで全学連の旗が揚がっていて、機動隊に放水されていた安田講堂も見上げることができました。すべての出発は、HOPES、般若先生にあります。ほんとうにありがとうございました。感謝しております。今後ともよろしくお願いします。

 板東 花帆・未弥 の母
13期生 ・ 16期生

『HOPESに感謝』

 

我が家の二人の娘達は、小学生の時にHOPESにご縁をいただきました。抜群にセンスの良い丁寧な算数のご指導には、親子共に深く感謝をしております。その他の科目においても、きめ細やかで的を射た楽しい授業に触れることができ、優しいスタッフの方に支えられたことをありがたく思います。また、同期の勉強熱心なお友達、優秀な先輩方にも恵まれ、ご紹介下さった楽しいゲームなどで有意義な時間を共有させていただいたのも良い思い出です。
 長女は大阪教育大学附属平野中学校に入学、高校へと進み、神戸大学発達科学部人間行動学科での研究を活かして、現在大阪市内の競技場の運営に携わらせていただいています。次女は同じ中・高を経て京都工芸繊維大学の造形工学部デザイン・建築学課程でデザインを主に学ばせていただいています。
 両名ともに体調不良で途中退塾となりましたが、無理を押してでも、最後まで通えたらもっと充実しただろうと、親として反省しています。
 これからは、もっともっと教育は多様化していくことでしょう。心も育む学びが、世界をリードするべく日本でも大切になっていくと思います。般若先生をはじめとする優しく厳しい先生方のご指導のもと、未来を担う子どもさん達が毎年毎年HOPESを巣立っていかれることを願ってやみません。HOPESにご縁の全ての方のご健康とご活躍を心からお祈りしております。誠にありがとうございました。

般若 正大
13期生 2004年卒業

『HOPESから教わったこと』

 

私の父が始めた学習塾HOPESが今年で25周年を迎えるという。ホームページにアップされている自分の受験体験記を読み、当時のことを思い出しながら、この文章を書こうと思う。
 私は13期生だから、HOPESに通っていたのはもう12年も前のことだ。当時は受験のことなど意識せず、両親に勧められるままに通い始めた。受験体験記によれば、その頃の私はそもそも受験というシステムすら分かっていなかったようだ。ただ、授業を受けるのは苦痛ではなかった。知らないことが理解できたり、解けない問題が解けるようになったりするのは楽しかった。そのうちに成績も安定し、5年生頃から、父の通っていた灘校を目指すようになった。授業や宿題にとられる時間も多くなったが、ここまで頑張ってきたのだからなんとか合格しようという気持ちで、ハードな塾のスケジュールにくらいついていった。無事に灘中学に合格できたときのことは、今でもよく覚えている。
 その後、灘高等学校を卒業し、東京大学理科T類に進学、現在は東京大学大学院の修士課程で有機化学の研究に携わっている。世間一般でみれば順調に道を進んで来たことになるのだろうか。しかし、そのきっかけはやはりHOPESだろう。ここでの勉強がなければ、受験はしなかっただろうし、何より勉強の面白さに気付くこともなかったと思う。小学生の私は、同級生とのドッジボールや当時流行っていた遊戯王カードに夢中だったのだから。その意味で、私に学問の面白さを教えてくれたHOPESの先生方や、HOPESに通うきっかけを与え、レールを敷いてくれた両親には感謝している。
 HOPESで教わったことがもう一つある。それは、努力することの大切さだ。私は受験体験記に、各学年へのメッセージに続けて、「そして、どの学年の人も努力をやめないでもらいたい。僕は初め成績が特別いいわけではなかった。そんな僕でも灘中学に合格できた。努力したから、合格できたのだと思っている。だからあきらめずに努力し続けてほしい」と書き、締めくくらせてもらった。今読めば、「何を偉そうなことを書いているんだ」という気がしなくもないが、当時の私なりの正直な気持ちなのだろう。
 4年前のことになるが、私は大学で所属したダンスサークルで部長を務めた。このサークルでは毎年、プロの舞台スタッフに協力していただきながら、200人の部員と共にダンス公演を行っている。まだ25年弱しか生きていないが、少なくとも今までの人生で一番大変な時期だった。200人の青春を背負っているというプレッシャーを感じながら、舞台監督や照明、音響のプロと連携して公演を運営するのだ。投げ出したくなる気持ちを抑えつつ、千秋楽の舞台まで辿り着いたときの達成感は今でも脳裏に焼き付いている。今までの努力が報われたと思うと、涙が止まらなかった。
 今振り返ると、この達成感は灘中学に合格したときに感じたものとよく似ていた。わからない問題に頭を悩ませたり、ためすぎた宿題を半泣きになりながらこなしたり、そういった苦労が報われる経験を通して、私は努力の大切さを学んできたように思う。いつだったかは忘れたが、父に「お前はもともと何でもできるような才能があるわけじゃない。努力をしてきたから今の自分がある。努力をやめてはいけない」と言われたことがある。努力の大切さを教えてくれたという意味でも、HOPESには深く感謝している。
 さて、私はこの4月から学校の先生になる予定だ。公立・私立を含めて就職活動をした結果、神戸市の公立中学・高校で理科の教鞭を執ることになった。教師を志すようになったのは高校生の頃ぐらいからだが、もしかしたらHOPESの生徒に接する父の姿を見ていた影響があるのかもしれない。父は成長した卒業生と会うのをいつも楽しみにしていた。私もそんな風に、自分が送り出した生徒と呑みに行けたらいいなと思っている。長かった学生生活も終わり、いよいよ社会人だ。特に、教師は人を育てるのが仕事である。自分も「努力」を続けると共に、「努力することの大切さ」を生徒達に伝えていきたいと思う。

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