明星中学入学
帝塚山中学校合格

ぼくは、2年生の3学期からHOPESに通い始めました。4年生までは、授業についていくことが出来、宿題もきちんとやり、復習テストもそこそこ出来ていました。5年生になると、宿題の量も増え、授業時間も長くなりましたが、なんとかついていけたように思います。

6年生になってからは、さらに宿題と授業時間が増え、5年生まで習っていたピアノを辞めることにしました。が、それでもしばしば宿題を出すことが出来ませんでした。そして計画を立てずに、分からない問題を理解しないまま、夏休みになってしまいました。

「このままではいけない」と思い、夏休みは、理解できていなかった問題を中心にがんばりました。でも、二学期からは時間が足りなくなり、きちんと理解しないまま、受験を迎えてしまいました。第一希望は不合格でしたが、明星中学校に行くことになりました。今は、もっと計画を立てて、逃げずにがんばればよかったなと思っています。

最後まで受験をがんばれたのも、4年間HOPESで勉強を続けられたのも、先生方やスタッフのみなさんの励ましのおかげです。今までどうもありがとうございました。

同志社中学校入学
帝塚山中学校合格

ぼくがHOPESに入塾したのは3年生の11月でした。

最初の算数の授業はいきなり「数列」で、ちんぷんかんぷんだったから泣きたい日が続きました。宿題とプリントをするのも大変でした。4年生になると友達もでき授業にも慣れていき、HOPESに行くのが楽しみになりました。でも、5年生になってから急に宿題や授業が多くなり、内容も難しくなったので、成績は下がりっぱなしでした。

6年生の夏休みになってからは、「目の玉がおちそうや」と思うくらい自分でも必死に頑張りました。ぼくは特に理科が苦手だったので最後まで苦労しました。でも、必ずその日の内に習ってきた事を復習し、本の宿題も必ずするようにしました。1月に入り、受験前の激励会がありました。いよいよだと思うとすごく緊張しました。

とうとう1月26日。帝塚山中学の受験の日がやってきました。前日に受験票、えんぴつ、御守り、先生の手紙、みんなの写真、それから授業中にお腹が痛くなった時に先生からもらっていた正露丸をカバンにつめて試験にいどみました。みんな正露丸を持ってきてました。(笑)理科が難しく自信がなかったのですごく不安でしたが、無事合格しました。

そして31日。いよいよ第一志望の同志社中学の試験日です。京都まで行くのですが、家を出た時、外はまだまっ暗でした。電車の中で日の出を見ました。そしてリラックスするため歴史マンガを読みました。同志社中学は試験時間が1科目40分間と短いから過去問を15年分やり、短い時間に慣れる練習をしました。2月2日、合格の速達を見た時は「やったー!合格や、合格や、ほんまに合格や!」と叫んだら涙が出てきました。とてもうれしかったです。だから、辛くても頑張ったら希望は本当にがかなうんだと思いました。

最後に般若先生に教えてもらった事、そして先生の手紙を一生大切にします。小島先生、京都までありがとうございました。あめおいしかったです。それから諸先生スタッフの皆さん本当にありがとうございました。

星光学院中学校入学
西大和学園中学校合格
函館ラ・サール中学校合格

ぼくは、受験を通じてさまざまなことを学びました。勉強もそうですが、それ以外のこともです。たとえば、受験後に行われたマラソン大会では、絶対に走りきることができないと思っていたのに、楽に走ることができました。もちろん、受験を通じて運動能力が上がったという意味ではありませんが、何事もあきらめないことが大事だということを学んだのです。

また、東大寺学園中の入試でもそうでした。算数が思ったよりも難しく、1番の問題を確実にやってから、2番の(1)と(2)をやったのですが、あとは時間がなくて、あせっていたためあまり自信がありませんでした。でも、次の理科は得意な所が出ていたので、あきらめずに頑張り抜くことができました。試験終了後、受かっている自信はなかったけど、親には80%受かっていると言って自己満足していました。その後、思いっきり遊んでいて、寝る時刻が遅くなってしまいました。

次の日の西大和学園中入試の朝はあくびが止まりませんでした。西大和の算数では計算用紙に解き方を書かなくてはならないということをすっかり忘れ、途中で気が付いて全部解き方を書いていたら、半分くらいしか解けませんでした。それでも、昼食でウイダーインゼリーを食べて気分を換え、後半元気を出すことができました。

星光学院中入試では、最初は理科がほとんど解けませんでしたが、あきらめずに考えていたら最後には出来ました。結果は合格でした。それにしても、教室の黒板の上にイエスキリストの人形があったのにはおどろきました。

勉強でわからないことがあったらすぐに先生に聞くことです。試験の時は、一教科よくないと思っても、あきらめずに次の教科から頑張ることが入試のコツです。

みなさんも、あきらめずにがんばって下さい。

関西大学第一中学校入学
帝塚山中学校合格
浪速中学校合格

ぼくは、HOPESに5年生から入塾しました。入塾テストではすごく悪い点数だったので、母が「入塾させて下さい」と頼み込んだそうです。入塾テストの点数は今でも分からないので知りたいです。

そして、塾に入って勉強を始めました。最初は友達が出来なくて気まずかったけど、塾で勉強をしていくうちに友達がふえ、勉強がしやすくなりました。ぼくは算数が苦手だったので、5年生の時は算数ばかりしていました。それでも成績はのびませんでした。やがて、その理由は、問題集をせずにプリントばかりしているからなんだと気づきました。

6年生からは、社会に歴史分野が増えて、ますます難しくなってきました。5年生のときに、6年生になったら全教科同じようにしようと決めていました。算数も問題集をやりはじめました。そのころ国語と社会の実戦の成績優秀者の表にぼくの名前がのり始めました。そのときはすごくうれしかったです。1週間分の問題集の宿題も全てできるようになりました。そして6年生の最後ぐらいには、苦手だった算数も実戦の優秀者表にのるようになりました。そのころにはもう受験校は決まっていたので、その学校にむけて過去問などをどんどんやっていきました。受験当日までには2校の過去問は全てやりました。もう対策は十分でした。

1月26日と1月31日と2月3日に受験をしました。全ての日を7時に起きました。初めの日と最後の日は、第一志望ではなかったのであまり緊張しなかったけど、2回目の学校はけっこう緊張しました。1回目の受験はのどあめとカイロをくれました。受験会場には塾の友達数人と行きました。会場に入るときに般若先生が、「頑張れよ」と言ってくれたので、安心すると同時にやる気が出てきました。そして見事合格できました。そして第一志望の学校にも合格して、最後も合格しました。合格できたのは、先生のおかげと自分の頑張りだったと思います。

厳しくそして優しく教えて下さった般若先生、激しい動きで理科を教えて下さったK先生、そしてすべての先生方。本当にありがとうございました。

ぼくたちの後、受験をするみんな、志望校目指して頑張って下さい。

帝塚山中学校入学
清風中学校(理III)合格

僕は2年生(新3年生)の2月に入塾しました。初めのころは般若先生も優しく、宿題をしていかなくても、「今日はいいよ、次回は持ってこようね」と言い、怒られたりはしませんでした。

しかし、だんだん塾にも慣れてくると宿題を忘れたり、遅刻したりしたら怒られました。帰らされたり、残されたりしたこともありました。そうこうしていると、6年の夏期も終わり、9月になりました。このままではいけないと思い、前よりは多く宿題をしていくようにしました。

さて、受験する学校ですが、帝塚山中学と清風中学にしました。そして帝塚山中学の受験日、学校に行くと般若先生がいました。大きいカイロを2個もらったので、カイロが5個にもなってしまい、あつすぎて困りました。帝塚山中学の試験は緊張せずに、受験することができました。その結果、合格できました。清風中学も合格することができました。

しかしこの後、両方受かったことで、第一志望だったはずの清風中学(理III) に行きたくなくなり、どちらにしようか迷いました。そして僕は帝塚山中学に行くことにしました。その理由は、先生の助言と5万冊の本と校舎の広さにひきつけられたからです。

最後になりましたが、諸先生方をはじめスタッフの方々、今まで本当にありがとうございました。

函館ラ・サール中学校入学
冨士中学校合格

ぼくがHOPESに入ったのは4年生の10月でした。最初は不安でしたが、授業回数を重ねるにつれ、なくなっていきました。最初、HOPESの先生はみな厳しいと聞かされていました。しかし、自分が思っていたほどには厳しくなかったので、よかったと思いきや、宿題を忘れたときはひどく怒られました。そのため、おこられないようにと、ついには答えを写したりごまかしたりしていました。そうしていうるうちにクセになり、ごまかす日が毎回のように続いたこともありました。しかし、そのときに先生方に注意していただいたおかげで、今までやってこられたんだと思います。

4年生の4カ月はあっという間に過ぎ、5年生になりました。5年生になると授業の時間帯も大きくかわり、今までとちがう生活を送るようになりました。それに、九時半までの授業だと、最後はウトウトしているのがふつうでした。でも、そんな生活にも慣れてくると、眠たくなることもなく勉強ができました。

6年生になり、どの中学を受験するかなどいろいろ考えました。僕は元々、大阪星光学院中学に行きたかったのですが、合格判定テストを受けているうちに難しいと思い、以前見学に行った函館ラサール中学を第一志望にすることにしました。この時期に志望校を変えてよかったと思っています。6年生では学校の行事がたくさんあり、HOPESを何度も休むことになりました。例えば修学旅行や臨海学舎などです。とくに体育大会の練習は、HOPESの授業開始直前まであったため、授業中に眠たくなることがありました。

12月23日、冨士中学校を受験しました。結果は合格でした。そして、冬期講習も終わりに近づいた1月10日。ついに第一志望校の函館ラ・サール中学校を受験しました。しかし結果は不合格。先生方と話し合い、もう一度函館ラ・サール中学校に挑戦しようと、二次試験を受けることにしました。ところが1月19日の朝、くり上げ合格の通知をいただきました。ものすごくうれしかったです。

最後になりましたがHOPESの先生方、スタッフのみなさま、今までありがとうございました。

星光学院中学校入学
帝塚山中学校合格
明星中学校合格

ぼくは、5年の初めにHOPESに入りました。しかし、ぜんぜん授業についていくことができませんでした。国語では文法が苦手で、文章を書くのも不得意でした。算数は時計算と過不足算が、理科では力学以外が、社会はほぼ全てが苦手でした。

そんな状況のままで6年になりました。正直に言って、1年後がもう受験だなんて気にしていませんでした。5年の終わりごろから歴史や少し難しい相似形の問題が登場してきました。社会は歴史年号を覚えるのが好きになったことで、算数は少し難しい問題が解けた時のうれしさがきっかけで、二つの教科のおもしろさがわかってきました。そして理科は、先生にとても楽しい動作で分かりやすく教えてもらいました。しかし、国語は得意科目にすることができないまま時間がたっていきました。

11月になりました。その時は星光学院中学と明星中学、清風中学しか受けないつもりでした。その3校の過去問を解き始めました。理科と社会は3校とも普通に解くことができました。しかし、星光の算数、明星の図形と国語、清風の国語には悩まされました。それを克服するため、土曜日は欠かさず質問をしました。ついに受験2ヶ月前になりました。その時に急きょ帝塚山中学を受けることになり、同時に帝塚山の過去問も始めました。どんどん各学校の過去問をやっては質問をしました。星光以外の過去問はたいてい合格基準点をとることが出来ました。星光は唯一2002年度の過去問だけは合格基準点に達することが出来ました。

やがて、試験の日を迎えました。帝塚山中学の試験です。友達がたくさんいたのでリラックスしすぎて、自分たちの教室を間違えてしまいましたが、案外慎重に問題を解くことができました。そして結果は合格でした。これで自信がつきました。昨年の先輩は「受験日の前後の日はほとんど寝られへん」とか「受験日の前日は早めに寝ました」と言っていました。しかし、ぼくはいつも通りに寝ました。そして本命の日をむかえました。友達が少ないせいか帝塚山の時より緊張しました。国語と理科、社会は自信がありました。しかし、算数はできなかったと思いました。合格発表の日。午前中に明星中学を受けました。ほとんどできたと思いました。その後、星光学院中学に行きました。落ちていたらショックなので先に親に見てもらいました。そのあと、自分の受験番号を探しました。そして・・・ありました。とてもうれしかったです。明星中学も合格していました。

ここまでこれたのは先生方やスタッフのみなさん、そして家族のおかげです。本当にありがとうございました。今からが本当のスタートなので頑張りたいと思います。

星光学院中学校入学
西大和学園中学校合格
函館ラ・サール中学校合格

ぼくは4年生からHOPESに入った。お兄ちゃんも同じ塾だったので一生懸命勉強をしなければいけないことはわかっていました。

そう思っていたせいか、4、5年の間は計画的に宿題をこなせました。しかし、6年になってからは塾に行く日が多くなり、なかなか計画通りにいかなくなり、夜遅くまで、かかるようになってしまいました。でも、プリントと過去問だけは優先的にするようにしようと決めていました。

今、後悔しているのは、プリントのやり直しはしたけれど、わからなかった所を質問して自分でもう一度きっちりとやり直さなかったことです。宿題をこなすことに気をとられてしまい、それをおろそかにしたことは本当に後悔しています。

でも、HOPESでいい友達に出会えて、塾に行くのは楽しかったです。3年間がんばれたのは、友達と、一生懸命になんとかしてあげようと思ってたまには笑いありの先生のおかげだと思います。

だから、みんなも(しんどいのはみんな同じで自分だけではないので)これからも先生を信じて、がんばってください。

それから、般若先生、小島先生、スタッフの皆さん、3年間本当にありがとうございました。

塾に行けないのが物足りなくてさみしいので、また、遊びに行かせて下さい。

灘中学校入学
東大寺学園中学校合格
函館ラ・サール中学校合格

僕がHOPESに通い始めたのは、2年生の2月からだ。ここで4年間勉強して、灘中学校に合格することができた。

けれど、3年生の初めのうちは、成績が特別よいわけではなかった。普通の小学2年生からのスタートだったから、かけ算・わり算の筆算だけでも相当苦労した。公立小学校の2年生といえば、九九をやっと覚えたぐらいだ。そんな状態でも、宿題だけはちゃんとやった。「宿題はちゃんとせなアカン」と思って、あきらめずに最後まで終わらせた。実際は、半分義務感でやっていた部分もあったが、とりあえずやらなければならない分はやった。そのかいがあったのか、3年生の後半ぐらいからは成績が安定してきた。けれど、このころはまだまだ受験を意識してなかった。受験というものを知ってさえもいなかった。

そして4年生になった。4年生になると新たな壁が出現した。「社会」だ。都道府県の位置や都道府県庁所在地の名前を覚えるのは容易ではなく、テストも社会の点数では7位や8位という順位だった。ただ、寺田町の教室まで通わなくてよくなったので、少しは楽になった。今まで小一時間かけて通っていたのが20分ほどになった。

社会を苦手にしたまま、5年生になった。5年生も後半になると、歴史の授業が始まった。地理以外に歴史が増えて、社会はますます苦手になりかけていた。このころから受験を意識するようになっていて、「東大寺中学の入試は社会が難しい」と聞いたので、社会の授業で残ったプリントを試しにやってみた。すると、小テストの点数が40点前後から、45点強になった。「次もいい点をとろう」と思って、残ったプリントは必ずやるようにした。その結果、社会は得意にはならなかったものの、苦手ではなくなった。復習テストでも80点はとれるようになった。

そのまま、順調に6年生を迎えた。苦手な教科はとりあえずなかった。けれど、授業の時間も宿題の量も5年生の時の倍ほどになり、慣れるまでが大変だった。それでも、なんとかふんばった。学校も休まず、HOPESに通うのはしんどかったけれど、「せっかくここまできたんやから、もう少しがんばってみよう」と思って続けた。そして塾のテストでは、国算理社全ての教科でトップだったこともあった。駸々堂や芦研の模擬テストでも1番がとれた。

最終的には、受けた試験は全部合格だった。函館ラ・サール中学、東大寺学園中学、そして第一志望の灘中学。灘中学の発表の時、僕の受験番号447が書いてあるのを見ると、うれしくてうれしくて大泣きした。HOPESの先生やスタッフの方々、僕に「合格」という喜びをくださって、ありがとうございました。

最後に各学年にHOPES卒業生として、はげましの言葉を贈ろうと思う。

3年生。まだまだ受験は意識しなくていいけれど、がんばってほしい。4年生。社会が増えてやめたくなるかもしれないけれど、あきらめることはない。5年生。もうそろそろ受験を意識するころだろう。けれどまだまだ時間はあるからあせらなくてもいい。ただ、志望校の見学は早めに行っておいたほうがいいと思う。6年生。いよいよ受験だ。精一杯勉強して成功をおさめてほしい。途中で不安になることや、本番で緊張することがあるかもしれないけれど、自分を信じることが一番大切だ。

そして、どの学年の人も努力をやめないでもらいたい。前にも書いたけれど、僕は初め成績が特別いいわけではなかった。そんな僕でも灘中学に合格できた。努力したから、合格できたのだと思っている。だからあきらめずに努力し続けてほしい。

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