私がはじめてHOPESを訪れたのは4年生の2月1日でした。どんな先生、どんな教室なんだろうと緊張しながら、母と行ったのを覚えています。教室に入ってみると、ダンボールがたくさん積み上げられていて、その中に机がありました。私は心の中で「この教室で本当に勉強ができるのか」と思い、少し不安になりました。後から聞くと、引っ越してきたばかりで片付け途中での体験授業だったとのことで、この教室で初めて授業を受けたのは私だったと分かりました。その授業では、分からない問題がたくさんありましたが、先生は面白くて分かりやすい解説をして下さったので、あっという間に時間が過ぎました。 授業が終わった後、「復習をしっかりしといてね」と言われました。そのころは、復習とは見るだけで良く、授業で書いた式をそのまま写すことだと思っていて、なぜ同じ問題をもう一度しなければならないかが分かりませんでした。
HOPESに通い始めて3回目の授業でした。復習は前回の授業の内容をそのまま写して、宿題は何も書かずに教室に行きました。いつも通りに入室し、先生に課題を提出しましたが、先生に写したことを気づかれました。何も書いていない宿題は「分からないので教えて下さい」と言って渡しましたが、先生には「何も書かずに解けるわけがない」と今になって考えれば当たり前のことを言われ、怒られました。そして、「帰れ!」と言われました。どうすることもできず、親も呼び出され、その日は帰りました。帰ってから、復習や宿題、やり直しの意味を考えました。先生は一人ずつに合った授業プリントや宿題を1枚ずつ考えて作成しているのに、このままではダメだと気づきました。
正直、私は6年生の10月頃まで中学受験をするという実感がありませんでした。ギリギリまでどこを受験するかも決まっていませんでした。母と一緒に先生に相談に行くと、先生は頭を抱えこんで考えてくれました。受験校が決まり、過去問を解き始めて、やっと、「もうすぐ受験なんだ。本当に受験するんだ」と思い、焦りました。これじゃ間に合わないと気づき、空いている時間は教室に自習に行って勉強しました。冬休みは、自習に来ている6年生で教室は満員。緊張感いっぱいの中で机に向かいひたすら問題を解いているみんなの姿に、私もがんばろうと支えてもらいました。
最後の授業で、HOPES鉛筆と消しゴム、お守り、カイロをもらいました。とても嬉しかったです。帰り際に「がんばってね」と言ってもらい、今まで勉強してきた力を出し切ろうと思いました。受験当日、先生から電話をもらい、声を聞いた時はホッとしました。
算数が好きになったのは般若先生のおかげです。先生は算数だけではなく、色々なことを教えて下さいました。最後までトランポリンを休みたくないという私のわがままも許して下さり、学校での話もたくさん聞いて下さり、本当にありがとうございました。先生のことは一生忘れません。
ぼくが初めてHOPESに行ったのは、アルゴクラブ(1年生の4月)でした。その頃は、パズルやカードゲームをしていただけで、特に受験をするという考えはありませんでした。
2年生の2月、初めての授業がありました。その日はとても疲れたので、帰り道に母に「もう行きたくない」と言ったことを覚えています。しかし、先生の授業が楽しかったので、そんな気持ちはすぐに消えました。
4年生になると、社会が増え、宿題も増えて大変になりました。第一志望が決まり、関学に行きたいと思うようになりました。そんなある日、母から「HOPESなくなるらしいよ」と聞かされ、思わず泣いてしまいました。しかし、数日後に、般若先生がまた個別で授業をしてくれることを知り、安心しました。
5年生になると、能開センターとHOPESのoneoneコースの両立が難しくなり、体調を崩すことが多くなりました。しかし、2学期になる頃には元にもどりました。
6年生になり、本格的な受験の準備が始まりました。1学期はできる限りがんばりましたが、まだできるところがあるなと思っていました。夏休みは、復習を徹底的にやり、間違えた問題を解き直しました。毎日休む日もなく、朝から晩まで塾に行きました。なのに、2学期になると、他の人の成績が上がっているのに、ぼくだけが取り残されているように思え、それからはこれまでの人生で一番がんばったと思います。過去問を解いても、最初は思うような得点が取れず、このままで大丈夫かなと思うこともありましたが、般若先生を信じてがんばりました。すると、過去問の点数が上がってきました。冬休みは能開の授業を休んで、HOPESに通いました。
そして迎えた1月18日の朝。先生から電話をもらい、落ち着いた気持ちで試験に臨むことができました。先ず国語は、全て解くことができ、見直しもできました。しかし、算数が難しかったので「もうダメだ」と思いました。それでも、60分間全力でがんばりました。そして理科。珍しい問題が出ていましたが、小学校で習っていたことだったので、解くことができました。午後の面接では、緊張しましたが、しっかり答えることができました。ところが、自分の面接が終わればすぐに帰れると思っていたのに、最後の人の面接が終わるまで学校を出ることができなかったのです。午後の入試の開始時刻は16時。学校を出たのは15時30分。移動に1時間はかかります。着いたら1科目を30分で解かなければなりません。「もう無理だ」と思いました。しかし、到着直前に般若先生から「学校に遅刻することを伝えます」とメールが届き、安心することができました。けど、実際は遅刻者のために17時から始める試験もあったので、それを受けることができました。
2日目は、午前中に明星中学校を受験しました。国語が難しくて無理かもしれないと思いましたが、無事合格できました。午後は帝塚山泉ヶ丘中学校を受験しました。
そして、ついに合格発表。帝塚山泉ヶ丘中の校門を出て、親に合格したかを尋ねると、「あとで」の返事。「これは不合格だな」と思いましたが、無事に合格できていました。翌日には、受験した全ての学校の合格を知ることになりました。
この結果を得ることができたのは、般若先生のおかげです。6年間、本当にありがとうございました。
僕は4年生の頃に、自分が受験をすると知らないまま、家の近くにある集団授業の塾に入りました。知っていた友達は一人いたものの、少し孤立していた感じがしていました。
4年生の中頃に受験をすると知り、志望校を考え始めました。
5年生になって、父に個別指導をすすめられました。僕は暗記物や文章を読むのが苦手でしたが、算数は比較的得意で、さらに算数を伸ばしたいと思っていました。このことがHOPESに通うようになったきっかけです。
最初は宿題をしっかりとやっていたものの、だんだんとヒミツの問題を出さなくなったり、答えをうつしたりしてサボるようになりました。5年生の終わり頃に宿題をやらずに般若先生にこっぴどく叱られ、それから頑張るようになりました。
6年生になった頃、印象に残っている出来事があります。勉強をすることが嫌になり受験をやめようかなと思ったことがありました。そのとき般若先生が、「君には理解をしてくれるお父さんがいる。そんなお父さんが選んだ女性なんだからお母さんも君の味方だし、君には味方がたくさんいる。だからきっと大丈夫」と僕を慰めてくれました。この言葉で立ち直ることができました。どんな中学に行きたいかをもう一度ちゃんと考え、今の学校に決めました。それからは、気持ちをしっかり持って勉強をするようになりました。
修学旅行などでHOPESに行けない日もありましたが、冬休みの直前は学校は午前授業が多かったので、受験範囲が終わっていないからと平日でも14時頃から般若先生が授業をいれてくださったり、理科の暗記物や電気ができていないからとプリントや授業をしてくださいました。冬休みも毎週授業をしていただきました。受験の前の最後の授業では、先生から応援の言葉をもらいました。そして受験前日に般若先生からメールをもらい、嬉しい言葉をいただきました。今でも内容をしっかりと覚えています。そして受験当日、会場に向かっているときには先生から電話をもらい、緊張することなく午前も午後もテストを受けることができ、良い結果を残すことができました。ほとんど算数で合格できたと言っても過言ではありません。HOPESで般若先生に教わったおかげです。
般若先生には、算数や理科を教えてもらったり、ときにはなぐさめてもらったり、大変お世話になりました。ありがとうございました。
仲の良い友だち達がみんな受験すると言っていたので、私もしよう。そんな気持ちで私の受験勉強は始まった。
低学年のころに進学館に入った。私は真ん中のクラスだった。初めてだったのでドキドキしていたけど、友だちがいたので楽しく通えた。進学館でたくさんの本を読んだので、読解力が身についた。おかげで国語が好きだった。
5年生になると、塾を能開に変えた。一番下のクラスだった。しかし、ショックではなかった。今にしてみれば、このときの私は受験というものが分かっていなかったのだと思う。能開の算数の授業が難しくてついていけなくなることが多くなった。そんな時、私を助けてくれたのがHOPESだった。
友だちが教えてくれた塾。体験授業に行くと、私が理解するまでわかりやすく教えてもらえので、HOPESに通うことを決めた。私が宿題をさぼっていたとき、宿題の大切さを私に分からせようと真剣に叱ってくれたのは般若先生だった。おかげで、宿題や復習をするようになり、算数の成績が上がった。飛び上がるほどうれしかった。気がつけば、私は算数が大好きになっていた。それから入試まで、HOPESと能開でがんばった。
入試当日。般若先生が電話で応援してくださり、とても心強かった。初めは緊張していたけど、おかげで落ち着いて受けることができた。その結果、第一志望校に合格することができた。
入試までたくさんのことがあった(大切な夏休みに病気でダウンなど)けれど、今までの努力が報われ、私の人生の一部であった「受験」という壁を突破することができたことは、とても良い経験になったと思う。
今まで私を支えてくれた母や父、家族のみんな、そして私を導いてくれた先生方には、本当に感謝している。中学校でもこの気持ちを忘れずに、いろいろなことに挑んでいきたい。
「うわ!!これは呑ちゃんとやった問題だ!!」
初日の高槻中学校A日程でのこと。緊張なんて吹っ飛ぶくらい集中できた。この集中力は、HOPESの授業と自習で培われたものだ。
私がHOPESに入ったのは、2年生の春。般若先生はアルゴクラブの先生だった。
「呑ちゃんで〜す」と言って現れる面白い先生。まさか、その時の出会いがHOPESでの何年もの時間につながるとは思ってもいなかった。2年生の冬に母が
「般若先生に算数習ったら、大阪で一番算数が得意な女の子になれると思うよ」と言ったので、私はHOPESに入る気になった。それが私の中学受験生活の始まりだった。
HOPESに入って耳にタコができるほど言われたのは「努力」と「復習」。なんと問題集のタイトルまでエフォート(=努力)だった。私が心がけた努力とは、丁寧な復習を欠かさず、こつこつと勉強すること。3年〜4年の頃は、授業で正解した問題も全てやり直して、分からないところは質問に行った。
4年生までは新体操もやっていたから、復習と宿題の量が多くとても大変で時間もギリギリだった。それでもHOPESの問題をやると賢くなっていくのが分かったし、般若先生の授業が楽しかったので、なんとか乗りきることができた。(呑ちゃんの怒っているときのオーラは凄まじく、怖かったけれど)
5年生からは浜学園に通った。算数はHOPESの方が断然難しかったので、国語、理科、社会に力を入れることができた。その頃私は、神戸女学院を第一志望にしていた。神戸女学院合格を目指し、浜学園ではVクラスで学んでいた。Vクラスには、志望校が同じ子がたくさんいて、ライバル視されることも多かった。私はそれがとても嫌だった。本当はただひたすら復習をして実力をつけていきたかったのに、いつの間にか点数や偏差値ばかりを気にするようになってしまっていた。結果がついてこない科目(国語)をできないと思いこむようになってしまった。浜学園の6年生の春期講習会で、さらに国語の自信をなくす出来事が起きた。
「あなた達は女子最難関コースの一番上のクラスにいるのだから、この位の点数は取れて当たり前だよね」と、講習会中に何度も言われ、友だちには毎回点数を聞かれ、競われて、私は一体何のために勉強しているのだろうと、悩んで泣いてしまった。挙げ句に、その国語が足を引っ張りSクラスに落ちてしまった。それでも、救いになったのは理科だった。浜学園の授業では理科が一番楽しかった。とにかく2回目を丁寧に復習することを心がけ、実力をつけていった。もっともっと理科を勉強したい、もっと知りたいと思い、やらなくても良いと言われていた難問までやっていた。ただ楽しかったからだ。高槻中学が理科学習に力を入れていると知り、高槻中学に行きたいと般若先生に伝えた。やりたいことができる中学校に行きたいと思うと、力が湧いてきた。それ以来、今までの自分を取り戻すことができた。自分の得意科目は算数と理科。そう信じてがんばり続けた。特にHOPESの授業は秋頃から分かることが増えてきたので さらに楽しく感じた。
受験前夜、少し気になっていたHOPESのプリントを見直してからベッドに入った。
「どんな問題が出ても大丈夫」と自分に言い聞かせた。
ついに迎えた受験当日。般若先生は電話で
「がんばってらっちゃ〜い!」とはげましてくれた。先生と受験直前にやった問題が、2校合わせて7問も出ていた。受験を楽しめたし、きちんと復習してきて良かったと思った。結果は、受験した学校全部合格。特に算数が引っぱってくれた。高槻中ではA日程は114点(これは受験生の最高点)、B日程は112点(ともに120点満点)だった。どちらも多分1問間違いだと思う。今まで受けたテストの中で、この算数の結果が一番うれしかった。
般若先生のHOPESで算数を学ぶことができて良かったです。算数の楽しさを教えて下さり、ありがとうございました。これからは妹をよろしくお願いいたします。
僕は小学4年生から受験勉強を始めました。けれど、5年生の中頃まではあまり集中していませんでした。鉛筆で遊んだり、消しゴムのカスをいじくったりしていました。受験勉強がどれほど大変なのか、第一志望校がどれほど難しい中学校なのか、分かっていませんでした。
そんな折、通っていた浜学園で入試練習を受けました。それは、実際の入試に似た形式の問題を解き、合格者一人一人の番号を先生がみんなの前で声に出して呼んでいくというものでした。自分の番号を呼ばれなかった人は、とても悲しい思いをするのです。僕は不合格でした。そのとき初めて、第一志望の学校が難しい中学校だと知り、このままではいけないと思いました。それからは、誰にも負けないくらいがんばりました。その結果、学力は順調に上がってきました。しかし、僕は過信してしまいました。もう大丈夫だと思いこんでしまったのです。当然、成績は左前になってしまいました。そこで今自分がせねばならないことを考えてみました。やみくもに勉強するより、その方が効果的だと考えたからです。何とか、志望校には合格できましたが、もう少し早く受験勉強に熱中できれば良かったと、今では思っています。あきらめないこと、過信をせずにがんばることが大切だと学びました。
最後になりましたが、3年間厳しく指導して下さった般若先生には感謝しています。先生のおかげで、算数が得意科目になりました。ありがとうございました。
今から僕が経験した、受験までの出来事と受験で得たものについて話します。
先ず、受験のための準備について話します。そもそも何故僕がHOPESに通うようになったかというと、当時(4年生)の僕は算数ができなかったからです。最初の頃は、先生がとても怖くて、授業の度に緊張していましたが、5年生になる頃には慣れてきました。と同時に、算数の成績も上がってきました。ある程度問題を見ただけで、解き方が頭の中に浮かぶようになったのです。因みに、僕が得意だったのは平面図形の面積でした。なぜなら面積は公式を上手く使えば必ず解けるからです。受験までの毎日、得意不得意に関係なくしっかり復習しました。そのおかげでHOPESの小テストはほとんど満点で、先生には「よく復習しているね」と褒められました。
次は、前受けについて報告します。僕は函館ラ・サールを前受け校に選んだのですが、練習がとにかく大変でした。過去問では理科(特に化学)がとても難しくて、行き詰まってしまいました。先生に質問してやっと理解出来るレベルでした。これが本番で出たら対応できないなと思うと緊張してしまい、結果は不合格。しかし、悲しんでいるときに1本の電話がありました。追加合格の報せでした。追加合格は算数が良かった人から選んでいると聞き、心底うれしかったです。算数がいかに大切かを改めて思い知りました。
受験本番の話をします。とても残念な結果でした。何が起きたのか説明したいと思います。問題は去年より難しくなっていました。これは完全に「運」だと思いました。特に、第一志望校の算数。過去問を解いているときは、捨て問をちゃんと見分けることができ、きれいに捨てられていましたが、本番では見分けがつかず、ほとんどができませんでした。パニック状態になっていたのです。後でもう一度解き直してみると、できる問題をたくさん逃していたことが分かりました。パニックに陥った後、冷静さを取り戻せなかったことが悔やまれます。さらには、算数だけではなく、理科の時間まで引きずってしまいました。テスト中にパニックにならないようにするのは無理でも、冷静さを取り戻すことはできたはずです。過去問を解くときに練習しておくべきでした。
第一志望も第二志望も不合格。第二志望の試験では、国語の調子がとても悪く、落ち込んでしまい、後の科目にまで影響が出てしまいました。全く同じパターンの失敗でした。
ですが、その次の試験では違いました。やはりパニックになりましたが、落ち着きを取り戻すことができました。苦い経験がやっと活きたのです。結果は合格でした。上手くいった理由としては、ネガティブをポジティブに変換できたことが大きかったと思います。例えば、ある問題ができなかったとしても、その問題はみんなもできていないはずだと考えたのです。
受験は、あくまでも人生においてただの通過点に過ぎません。結果が良かろうが悪かろうが、まだ終わりではありません。これからも、またがんばっていこうと思います。
般若先生とは何者なのか?
私の受験問題の中での一番の難問です。
般若先生との出会いは至って単純で、友達からの紹介というのがその理由。
友達が行くから私も通ってみようかな、というのが通塾のきっかけでした。
算数は大嫌いで、計算問題は少しできるけど文章問題は見るものイヤ、それが当時の私。
HOPESに通い始めた最初の数回は「やっぱり算数イヤだわ」という感情の強い私がいました。
しかしどうでしょう、数か月後には「問題めっちゃ分かるんだけど!もっと難しいヤツも出してみてよ!」と、本当にそうなったんです。自分でも驚きを隠せませんでした。
親からはこう言われました。
「あんた、算数嫌いだったんとちゃうの?(あなたは算数が嫌いじゃなかったの?)」
そして受験当日…
「あれ?解ける、これも解ける、解ける。ん?私ってこんなに問題解ける人だったっけ?」
終わってみたら、あっという間の時間でした。
結果は… 合格!
好きこそ物の上手なれということわざがありますが、この私が何故か"算数の問題を解く事が好き"になり、そして何故か算数という教科に助けられたのです。
「でも、般若先生!何で私がこんなにスラスラ算数の問題を解けるようになったんですか?教えて下さい!」
「何で私が文章題を好んで自分からやりたくなったんですか?」
「何で私が宿題を出されても、卒なくこなせるようになったんですか?」
受験に受かったことは感謝の気持ちでいっぱいなのですが、先生は最後の最後に今までにない難問を私に与えて下さいました。
「般若先生!あなたは一体何者なのですか?」
それは私にとって受験を超えた難問となりました。
私は、中学受験をしようと塾には通っていましたが、なかなかやる気が出なくて、成績も伸びませんでした。そんな時に出会ったのが般若先生でした。怖いと聞いていたので、最初は緊張していました。けど、授業は分からない所を分かりやすく教えて下さり、テストの点数が悪い時もそのやり直しを一緒にていねいにして下さりました。ただ、宿題をちゃんとしてこなかったときは、叱られました。過去問で分からない所は全て教えて下さり、それからは質問がしやすくなりました。
受験当日、般若先生からの電話。何を言われるのだろうかと緊張しましたが、いたわりの言葉と、励ましの言葉で、とてもうれしかったです。試験が終わった後も、心配して電話を下さり、とても心強かったです。「一次A合格しました!!」と報告をしたら、一緒に喜んで下さいました。がんばってきてよかったと、思える瞬間でした。しかし、一番最後の入試、2日目の午後の受験を勧められたときは、正直嫌でした。先生は私のためを思って言ってくれたのにと、後になって気づきました。これまでの授業でも、私は叱られた日は、次の授業は受けたくないと泣いて喚いていました。叱ってくれるのも私のためだと分かっていましたが、なぜか苛立ってしまったのです。今はそのことを後悔しています。
ここまでがんばってこられたのは、家族やいろいろな先生、般若先生など、言い切れないほど多くの人たちの協力があったからこそだと、受験を通じて気づくことができました。一番近くで見守ってくれたお母さん、お父さん、ありがとうございました。そして、般若先生。叱りながらも私を成長させて下さり、本当にありがとうございました。
僕は3年生の前半にHOPESに入塾しました。元からそろばんをやっていたので計算には自信があり、その頃の算数の成績は良かったです。一方、国語、理科、社会はなかなかひどく、特に国語は全くダメでした。そもそも覚えることが苦手で、漢字や都道府県、植物などは不得意分野でした。それでも、円周率や星の名前など、興味のある分野は覚えるのが得意でした。
あるとき、算数の点数が異常に低かったことがありました。今ならその理由が分かります。それは、宿題や復習をしていなかったこと、宿題をやったとしても答えを写していただけだったこと。また、MYDOノートを書いていなかったことなどです。しかし、嘘をついても般若先生には全てを見抜かれていて、バレていました。「嘘をついても何の得もない。自分の成績が下がるだ」と、何度も言われていました。ですが、僕はその言葉を聞く耳を持っていませんでした。結果は当然だと思います。この事を僕は今でも悔やんでいます。そして、そのテストの後、猛勉強しましたが、次のテストでも結果は惨敗でした。もう受験ごとやめようかと思っていたその時、親から「桐治ならまだできる」と言われました。それからも度々、宿題や復習を忘れはしましたが、成績はどんどん上がっていきました。MYDOノートの予定通りに事が進むと、とても気持ち良かったです。
しかし、4年生の冬。集団授業の終わりが突然やってきました。HOPESは個別授業になったのです。僕は、HOPESに通いながら、馬渕教室にも行くことになりました。それからもMYDOノートは出さない、宿題や復習は忘れるなど相変わらずの状態でしたが、算数の成績は着実に伸びていました。ところが、国語の成績がとても悪く、馬渕の先生からはその時目指していた中学校には受からないと言われ、志望校を変更させられました。僕はそれがとても悔しくて、般若先生にはその事を隠していました。個人面談の際に親がその事を告げると、先生は志望校が変わったのならと、教材の内容も変えてくれました。本当にありがたかったです。
6年生後半。僕は家ではゆっくりし、塾でしっかり勉強をするという方法を採りました。静かな塾の方が勉強が捗るからです。けれど、冬休みに入ってから受験本番まで、馬渕教室の授業がとても少なく、困ってしまいました。そんな時、救いの手を差し伸べてくれたのが般若先生でした。事前に連絡さえすれば、朝から晩まで自習させてくれました。
前受け受験の日。会場には般若先生がいました。そして、全力で応援してくださり、結果は合格でした。とてもうれしかったです。先生も一緒に喜んでくれました。本命校の受験の日も先生は学校に来て下さり、カイロを手渡してくださいました。心も身体も温かい状態で受験に臨むことができ、おかげで合格することができました。本当にうれしかったです。
般若先生や家族、馬渕教室の先生には感謝しきれないほどの恩をいただきました。この恩を返せるよう、これからも頑張ります。