帝塚山中学校入学
帝京冨士中学校合格

私はホープスに3年生のときに入塾しました。そのころから算数が苦手で、ほかの科目の何倍も時間をかけて復習や宿題をしていました。それでも、算数の小テストの点数はあまり良くなりませんでした。そこで、母にプリントをコピーしてもらったり、わからない問題をみてもらったりしながら、授業になんとかついていっていました。けれども、4年生のときに勉強をするのがいやになり、塾に行くのもいやになってしまいました。それまでは、中学受験というものを知らなかったけれども、このとき初めて知りました。そして、やっぱりがんばって勉強した方が良いと思うようになりました。心を入れ替えてがんばったおかげで、復習実力テストで点数が良くなりました。とても喜びました。
 5年生の最初の合格判定テストは、良かったのでうれしかったです。また、社会では歴史が始まり、覚えることが多くなって大変でしたが、いろいろなことを知って楽しかったです。
 過去問には、6年の9月の中旬から取り組み始めました。国語の点数が良かったので、国語は自信がありました。ただ、漢字の間違いが目立ちました。過去問だけでなく、普段の勉強のときにもよく、この問題が入試に出るかもしれないと思いながら解いていました。冬休みに入ってからは過去問をどんどん解きました。わからない問題がたくさんあったので、よく質問をしました。カレンダーには「入試まであと何日」と書きこみました。私はそれを見るたびに数字が少なくなることに恐怖や不安を感じて、本当に志望校のレベルに近づけるのか、落ちたらどうしようかなど、思い悩んでいました。
 冬休みが終わり、前受け校の入試の日。私はあまり緊張していませんでした。会場に行くと先生方が待ってくれていてうれしかったです。しかし、コンパスと定規を忘れ、母があわてて買いに行くことになってしまいました。これが前受け校でよかった、次は忘れ物をしないように心がけようと思いました。普段通りに問題を解くことができ、結果は特待A。うれしかったけれども、これから受ける志望校のことを考えると、やはり不安でいっぱいでした。でも、冬にあった入試激励会での先生方の言葉を思い出してがんばろうと思いました。
 とうとう、本番の入試がやってきました。忘れ物もなく、緊張もせず受けることができたものの、得意なはずの国語が難しく感じ、あせってしまいました。その結果、合格はしたものの志望していたコースには入れませんでした。もう一度受けても不合格。最悪の状態はまぬかれましたが、最高の状態ではありません。志望していたコースではないけど、その学校に行けるのだからと、くやしいけれど納得しようとしていました。次に受けた第二志望の学校も不合格。私は第一志望の学校をもう一度受けましたが、国語も社会もできなかったので、もうだめだと思い込んでいました。しかし、結果は夢にも思わぬ合格。家族、祖父母、みんなが喜んでくれました。点数を見たときには、おどろきました。一番苦手だった算数が、今回は一番良かったのです。それを見たとき、私はあきらめなくて良かった、算数に時間を費やして良かった、努力して良かった、そう感じました。
 私はこの中学受験を通じて、あきらめないことの大切さや努力がいかに大切かなどいろいろなことを学びました。ホープスに4年間通っていて本当に良かったと思います。ホープスの先生方、志望校特訓のプリントを用意してくださったり、質問を最後までこまかく分かりやすく教えてくださったり、最後まで応援してくださったりとありがとうございました。家族のみんなも応援してくれてありがとう。これからも中学校でがんばります。


清風南海中学校入学
大谷中学校合格
近畿大学附属中学校合格
帝京冨士中学校合格

私は5年生の時にHOPESに入塾しました。初めの頃は、うまく勉強の波に乗ることができず、適当に復習をしたり、宿題を写したりしていました。当然、小テストの点数は悪かったので、きちんと宿題をしようと思いました。しかし、その後も宿題プリントはしていたものの、本の宿題はしませんでした。塾へ行くと、必ず先生から「テキストは?」と聞かれ、同じやりとりをずっとくり返していました。だから、算数の小テストでは、簡単な計算を何回もまちがえたり、他のテストでも点数が悪かったりしていました。これでは志望校に合格できないと思い、宿題をきちんとすることに努めました。すると、復習テストで、社会以外は成績優秀者に名前が載り、とても嬉しかったです。その事がきっかけとなって、これからはがんばるぞと思ったのが6年生の夏でした。
 しかし、その矢先のこと。ちょっとした兄弟での遊びがエスカレートし、私は右腕を骨折してしまいました。骨折したことを報告しに行くと、先生は「どないするねん?」と。「左で書きます」と、私は言いましたが、今でもあの時に一瞬寒い空気が流れたことをよく覚えています。先生は以前から「夏が一番勉強をするとき」とよく話されていましたからね。私はなんとか左手で字を書いていました。初めの頃は汚い字でしたが、だんだんうまく書けるようになりました。この骨折によって、字を書くこと・授業に集中することに、必死になりました。左手で受けた五ツ木の模擬テストで、前回よりも点数がアップしていたのには、正直驚きました。ようやく右腕が完治したのが10月。それから、たくさんの過去問を取り組みました。同時に、五ツ木の模擬テストも回数を重ねるごとに点数がアップしていきました。
 いよいよ、入学試験の日が来ました。前受けの帝京冨士中学校には合格していました。その結果を自信につなげ、1日目の試験に挑みました。午前中は本命の高槻中学校、午後は大谷中学校でした。高槻中では、問題を解くとき、緊張しすぎて、文章が頭に全く入ってこなかったです。大谷中では、午前のテストで疲れてしまい、学校に着くまでずっと寝ていました。けれど、本番では眠気が覚め、普段通りの力を出すことができました。結果は合格でした。2日目は、午前が清風南海中学校、午後が高槻中学校でした。この日は、二校とも難しい学校なので、とても不安でした。結果は清風南海中は合格、高槻中は不合格でした。そのとき私は、高槻中とは「縁がないんだな」と思いました。3日目は、近畿大学付属中学校を受け、合格しました。私は、これら全ての結果から、すぐに自分の進む中学校を清風南海中に決めました。
 毎日私を支えてくれた家族のみんな、そして先生方には感謝しています。本当にありがとうございました。そして、これから受験を迎えるみなさん、色々なトラブルがあっても最後の最後まであきらめず頑張って下さい。そして、”毎日のコツコツが一番”であることと、私の反省、そしてこれからの目標も含め、エールを送りたいと思います。

四天王寺中学校入学
帝塚山中学校合格
岡山中学校合格

私は小学校1年生からホープスに通いました。この作文が少しでも皆さんの参考になれば幸いです。
 私には2歳年上の兄がいます。兄が1年生からホープスに通っていたので、私も5年生までは「生活の一部」としてホープスに通っていました。
 でも6年生になってすぐの1月下旬、初めての難関実戦演習で散々な点数だったので気持ちが引きしまり、食欲が全く無くなってしまいました。食事が摂りづらい状態が3月末頃まで続きましたが、4月頃からは食事しか楽しみが無い事に気付き、食欲が回復してゆきました。結局この一年間で体重が7kg増加しました。(以前がスリムだっただけです。念のため)
 夏休み、ほとんどの時間を塾で過ごして精一杯がんばったのに、秋に過去問を解き始めると算数で大苦戦し、辛かったです。
 11月後半からは般若先生に個人的にお時間を頂戴し、特訓して頂きました。それにより、入試本番では実力を完全に出し切って、四天王寺中学校へ道をつなぐ事ができました。
 私は5年生のとき読んだ小説「氷点」の明るく賢い主人公「陽子」に憧れているので、その陽子になったつもりで6年生の日々を乗り越えました。また、愛読書「ハリー・ポッター」を勝手気ままに加工(架空の人物を登場させたりする)して、勉強の気晴らしにしていました。この空想遊びが功を奏したのか、入試では緊張せず受験できました。(でも、前受け受験の際は緊張したので、前受け受験は大切だと思います)
 私がホープスで学んだことを書きます。
 ・コツコツと毎日努力をすれば、きちんと結果につながります。
 ・勉強する時と遊ぶ時と、メリハリが大切です。
 ・勉強でわからない問題は放置しないで、質問して解決して下さい。(「まぁいいか」はダメなのです)
 ・自分を信じて下さい。
 ホープスでの経験をいかして、これからも目標を定めて日々努力していきます。
 般若先生、俊敏とは程遠いマイペースな私を最後まで御指導下さり、本当に感謝しています。有難うございました。

大阪星光学院中学校入学
奈良学園中学校合格
函館ラ・サール中学校合格

僕は3年生の4月頃に母の知人の勧めでHOPESに入塾しました。3年生の内はまだ受験というものをあまり意識しておらず、復習、宿題をおろそかにしてしまい、理科の知識、国語の漢字と文法が全く身につかず苦労しました。
 受験を意識し始めたのは4年生でした。いろいろな学校の説明会や学園祭に行った結果、第一志望校を東大寺学園中学校に、第二志望校は大阪星光学院中学校に、第三志望校は奈良学園中学校と定め、勉強を始めました。ところが、まだ4年生だったということもあり、心の中でどこか、「まだ受験まで3年弱あるし大丈夫だろう」と考えており、3年生の頃に比べたらまだましにはなりましたが、後から考えてみると「こいつ本当に受験するのか?!」と思えるくらいでした。たしかこの時は、国語と理科に危機感を覚え、真面目に始めましたが、社会の地理(特に地図記号や山地・山脈名)をおろそかにしていました。そのせいで、5・6年のとき、参考書の問題で出てきた「この番号が示す山地・山脈名を答えよ」というのが全く分からず、かなり後悔しました。
 5年生からは自分の好きな社会の歴史が始まりました。僕は3年生ぐらいから歴史の本を読んだり、歴史についてのテレビなどを見たりして、基礎知識は多少ついていたので歴史の授業が楽しみでした。
 6年生では、今までの授業の総復習や応用の授業が行われました。ここで一番苦労したのは、理科でした。これは3年生の頃、おろそかにしていた基礎的な部分がついていないところがあり、今までやってきたものを塾のない日にやり直し、特進クラスの理科を読み直したりと大変でした。すごく後悔しました。
 そして大事な季節が来ました。夏です。この頃から東大寺の理科の過去問を始めました。極めて正確な知識や基礎的な部分を応用したものが問われていて、とても苦戦しました。特に物理が大変でした。図が複雑であったり、解き方が全く分からないものであったりと苦しみました。また、夏休み中は午前中から塾に来て自習をしました。主に昨日の授業の復習・宿題をしました。
 そして、秋になり、東大寺と星光の過去問を積極的に質問しました。また、国語は記述が多く、その採点を先生にしていただいたり、修正点を教えてもらったりしました。星光は、全教科とも比較的できて、全て合格最低点に達することができ、自信につながりました。しかし、東大寺は合格最低点に達する時としない時があり、安心することはできませんでした。
 そして、冬になり、秋よりさらに必死に過去問に取り組みました。受験前日までにした量は東大寺は11年分、星光は5年分、奈良学園は5年分、函館ラ・サールは3年分でした。僕が受験した年は受験日初日が1月13日とかなり早く、過去問のできる量が少なかったです。
 まず、僕は前受けとして函館ラ・サール中学校を受験しました。はじめて緊張感の中で受けたので、なにかすごく新鮮な感じがしました。そして、結果は合格で、かなり安心しました。
 そして13日。星光学院中学校の受験日が来ました。般若先生が「いつも通りなら大丈夫」とおっしゃったので、安心して取り組むことができました。結果は合格で安心しました。
 翌14日。この日は奈良学園中学校でした。結果は医進コースで合格でした。
 そしていよいよ本命の15日、東大寺学園中学校の受験日です。体の調子もよく、ずっと悩まされていた腹痛もなく、万全の状態で本当の力で取り組むことができました。結果は不合格でした。でも、涙が出てくるということはありませんでした。悲しくなかったからではありません。自分の本当の実力でぶつかって不合格だったのです。だから、後悔などは一切ありませんでした。
 ところで、受験生の皆様は、「楽は苦の種、苦は楽の種」ということわざを知っていますか?意味は楽をすれば後に苦労に、苦労すれば後に楽になるということです。受験の場合は、先に楽をするより苦労する方がいいですよ。
 最後に、今まで僕を支えて下さった家族のみんな、そしてHOPESの先生方、本当にありがとうございました。

開明中学校入学
清風中学校合格
桃山学院中学校合格
帝京冨士中学校合格

僕は、3年生の春頃に、兄が通っていることもあってHOPESに入りました。先生たちはすごく優しかったけど、授業の時は怖くなり、とても恐れていました。復習は、お母さんがつきっきりで教えてくれたおかげで、小テストの点数が上がりました。
 4年生からは社会が加わりました。授業はすごくおもしろかったので、毎日心待ちにしていました。しかし、地理の暗記をおこたったため、逆に苦手になってしまい、社会が最後まで足を引っ張ることになってしまいました。
 5年生になると算数が難しくなってきたので、算数に重点をおきました。また、社会に歴史が加わったのでよりいっそう授業がおもしろくなってきました。
 6年生になり、第一志望校を清風中学校に決めました。しかし、受験に対する意識が低く、春休みも夏休みも宿題をただやるだけでした。そして10月。やっと先生から過去問をしてもよいと言われました。算数・国語は120点満点中70点くらいでした。社会もまずまずできていました。しかし、理科は80点満点中30点ぐらいしかありませんでした。兄がつきっきりでその解説をしてくれましたが、あまり点数は上がりませんでした。冬休みになっても先生には叱られる始末でした。冬休み直前に2016年度の清風中学校の過去問題をやると、なんと、算数が43点でした。あとの科目は、いつもと変わりませんでしたが、算数の結果があまりにもショックで、泣いてしまいました。それがきっかけで、第一志望校を開明中学校に変えました。その後、お母さんがハワイに一ヶ月行くことになりました(夫婦ゲンカではありません)。父が僕の面倒を見てくれましたが、僕はお母さんが家に帰るまで、うかれていました。心を改めて受験勉強に取り組んだのは、お母さんが家に帰ってからでした。
 あっという間に1月6日になりました。前受けには帝京冨士中学校を受験しました。なかなか手応えがあり、結果は合格でした。すごくうれしかったです。ついに1月13日が来ました。朝は、本命の開明中学校を受験しました。会場には山下先生が来て下さいました。いろいろはげましてくれたおかげで、あまり緊張はしませんでした。午後には、清風中学校の理V選抜試験がありました。理V選抜の過去問題は5年分しっかりやったので、自信を持って臨めました。しかし、休けい時間中にトイレに行って自分の席にもどろうとすると、教室番号を忘れてしまい、パニックになってしまいました。その後は、開明中学校を2回受け、桃山学院中学校も受けました。そして、そのすべてが合格でした。
 僕が合格できたのは、小学校の担任の先生やHOPESの先生方、そして毎日おいしい弁当をつくってくれたお母さん、受験の事をかげながら必死に考えてくれたお父さんや記述を採点してくれたお兄さん、祖母などの多くの人の支えがあったからだと思います。本当にありがとうございました。

明星中学校入学

ぼくは、2年生の時にアルゴクラブに入りました。楽しく学ぶことができ、全国大会にも出させていただきました。
 3年生で正式入塾しましたが、姉もHOPESに通っていたので、すぐに慣れることができました。算数は得意でしたが、国語は苦手でした。
 4年生から、社会が加わりましたが、社会にはなかなかなじめませんでした。算数はきちんと考えなければならなくなりました。
 5年生になると、歴史が始まりました。そのころ、算数の毎日の計算練習をさぼってしまい、復習テストでは、いつも計算でてこずっていました。しかも、親にかくれてゲームで遊んでいました。けれど、学校説明会に行き、秋には第一志望校が決まりました。決め手となったのは文化祭。楽しかったからです。
 6年生になると、算数の授業が一人一人に応じて行われるようになりました。しかし、社会の悪さが目立ったため、社会に手をとられ、他の教科がおろそかになりました。そこで、理科と国語のワンワン(=個人授業)を入れてもらい、苦手を強化していきました。夏休みには午前中は教室で自習、午後からは授業という毎日を送っていましたが、お盆の時に気がゆるんでしまいました。それで、ゲームなどの遊び道具を片づけました。すると、2ヶ月ほどでゲームについては何も感じなくなりました。また、算数の点が少し落ちていましたが、先生にワンワンをしていただき、少し自信が回復しました。
 そして、ついに入試が始まりました。
 1日目は大阪星光学院中学校でした。ものすごく緊張しましたが、手応えはありました。午後の明星中学校は楽に受けられました。なぜかはわからないけれどすごく緊張がほぐれていました。 
 2日目は、帝塚山中学校でした。算数は難しい問題ではなかったはずでした。しかし、なんとノロウイルスにかかってしまい、一晩中吐き続けました。
 3日目は、母によりかかりながら奈良学園中学校に向かいました。先生に状態を伝えると、保健室受験になりました。
 ぼくは、いろいろ反省して、これからの目標を決めました。それは「後悔しないこと」です。
 先生方、これまでありがとうございました。


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